何が食べたい?  と訊けば、「あたしは何でも食べるわよ」と即答する母。

28本揃っている歯が自慢で、歯間ブラシは欠かさず、お手入れにも余念がない。

最近は兄の使っていた舌ブラシにも興味を示し、舌ブラシ専用クリーナーなどを使って、口内ピカピカ路線を邁進中。

 

さて、そんな自慢の歯で何でも食べるよ、と言う母なのだが、このひと言を素直に信じてはいけない、と何度も痛感しては、何度も後悔する。

母と同居している兄からは、「それが、彼女の日常ですから」と毎度、悟りの境地の表情で言われ、全く成長できない、いい年をはるかに超えた妹、なのである。

 

実家に帰宅した日の夕食当番はワタクシで、基本は和食中心を心がけている。

が、この和食になぜか箸が伸びない母なのである。

ある日の夕食はこんな感じ。

小松菜の白和え胡麻味噌仕立て、長ネギとキノコのミニ茶わん蒸し、麹仕込みの筑前煮、ほたてのバターソテー、アボガド&柿のサラダ、そしてキュウリのぬか漬け、納豆。

汁物は少食な母にとっては大敵で、お味噌汁を飲んだだけで、ご馳走様となる危険があるため、汁物は抜き、である。

午後4時ごろから2時間ほどかけて作り上げる渾身のメニューなのだが、この渾身ぶりが空回り、の事態に陥ることがよくある。

 

母のお箸の行方をチラ見してみれば、まず、ひと口めがご飯、ふた口めがきゅうりの糠漬け、そして、またご飯、そして、うろうろしているお箸、といった具合で、老人向きの白和えや、茶わん蒸しはほぼ見向きもしない。

ホタテは母の好物の一品なのだが、これもお刺身よりもこってりとしたソテーが好き。

 

80の山を越えたあたりから、食の好みが変わったのだろうか、卵や豆腐、納豆や乾物の煮物や、酢の物に全く興味を示さなくなった。

ひじきや切り干しの煮物系は今も母の担当料理。

なので、食卓に上る時はお付き合い程度に一度は箸をつけるのだが、ぬか漬けの合間にちょっと寄ったわ、みたいな箸巡りとなる。

 

なんでも食べる、と言いながら、その偏食ぶりがお見事すぎる母だが、もう80過ぎたら自分の口から食べられるだけで「良し」でしょう、と残ったお惣菜を見渡しながら悟りの境地をひたすら求める夕食タイムなのであった。