この年齢になると夏といえば、盂蘭盆会が夏柱となる。

 

小学生の頃のお盆の時期、夜はただひたすら怖かった。

死んだ人の魂が、この世に戻ってくるからお迎えとお見送りをするのよ、とナスときゅうりで何かをしてる伯母を不思議の目で見つめていた。

昼間はよいのだが、夜になると盆棚のある部屋が特に怖かった。

昼間見ているときと明らかに違う空気感。

飾りは色々だったが、ほおずき以外はよく覚えていない。

母の実家の盆棚はかなり大きく、夏休みに泊まりに行くたび、お盆の時期にはどうしても目に入るので、懐かしい思い出と懐かしむだけでない重さの記憶にたじろぐ。

ワクワクしていた夏の恒例の盆踊りも、魂供養のためにすると後で知り、おぼーんとリンを鳴らしたくなるような夏柱なのである。

 

そんな夏。

この年になって、怖いと久々に思ったのが先日の迎え盆の日のことである。

台風のおかげでほっと一息できる気温となり、この時を逃すまい、と、以前から気になっていた掃き出し窓の掃除を始めた。

窓の桟、掃き出し口、窓の上から下まで、内側、外側と雑巾とミニブラシを駆使して掃除をすることに。

全て南向きの窓なので、外に出て拭き始めると途端に汗が噴き出てくる。

1時間前まで強く降っていた雨は小休止。

手早くやろうと拭き始め、3つめの窓の真ん中あたりを見てぎょっとした。

子供サイズの手のひらの痕がくっきりとふたつ。

かすれ気味ながらもくっきりとした白い痕。

よくみると、指紋のようなものまで浮き出ている。

最近、外側から窓を触ったか? いや、最近はそんな気力もなかった。

では夫か?  いゃ夫の手のひらにしては小さすぎる。

 

しかも、さっと拭いただけでは痕が取れない。

ちょっと焦る。

焦って、ごしごしやるとやっと取れたのだが、取れた途端、ぞっと寒気がする。

誰か乗ってる?

 

そういえば、最近、お対になっていた物の片方がなくなることが多かった。

たとえば、おはしの片方。

靴下の片方。

 

牡丹灯籠の新三郎的にビビる。

 

明日はお墓詣りというタイミングで、盂蘭盆会時の怪し話をひとつ、なのだが、墓参り当日朝の夢がまた怪しで、宮部ワールド全開の夏、なのである。