サザンの歌う「愛しのエリー」が世の中の空気を染めていた頃、東京の西の果てから南青山にある専門学校に通っていた。
渋谷駅で降りてミナトク、ミナミアオヤマナナチョウメまで歩く。
南青山七丁目が眩しくて仕方ない年頃で、降り立つ渋谷駅の109を横目に弾むように歩いていた。
結構な距離だったはずなのに、全くつらい思い出がない。
多分、珍しい建物やお店を眺めながら歩いていたせいかもしれない。
帰り道は、ほぼ毎日サテンに寄っていた、ような気がする。
サテン、今は完ぺきな死語となってしまったのだが、当時は皆で「サテン寄る?」と授業の終わりの決まり文句のよう交わしていた。
ほぼ毎日、の記憶なのだが、学生の身分で、そんなにお茶をしていたのか、定かではない。
だけど塗り替えられた記憶は、毎日サテンで楽しいダベリ、となっている。
気の合う友達となんだかんだと色んな話をエンドレスで回し続けながら、一杯のドリンクで夕暮れまで過ごす。
いつも通っていたのは学校から渋谷駅までの途中にある「六曜館」。
それと渋谷駅近くの地下にある「パティオ」というお店。
六曜館では今のスムージのように濃いイチゴジュースを飲み、パティオではモカジャバヤ、と決まっていた。
ふたつとも思い出の味ではあるのだけれど、最近自宅でパンを焼きながら思い出すのは南青山にあった「オレンジ」というサテンで食べたジャムトースト。
トーストされているのは4枚切りの厚さのパン。
その表面に十字の切り込みを浅く入れ、そこにバターがたっぷり。
食パンといえば、6枚切りか8枚切りと思っていた私にとって、4枚切りの厚さは新鮮だった。
白いお皿の上にトーストとジャムの小皿が盛られていて、ジャムはお好み量を自分で塗って食べるのだが、ジャムとバターのしつこさがなぜか癖になる味なのだった。
ジャムもプリザーブタイプではないシンプルなイチゴジャムだった。
あの味を今も舌が覚えているのが不思議だ。
今はトーストにバター、だけでも結構しつこいと思うのに、あの頃は「オレンジ」で食べるあのトーストが一番の楽しみで、一番の贅沢に思えていた。
やっぱり食べ物の記憶は懐かしくて、愛おしい。