5月に入ってから、母の携帯に毎日電話をするようになった。

 

母の海馬の萎縮が判明してから、これは老化による物忘れの範囲外であったか、と認識を改めて「話しかけ」大作戦を展開している。

 

しかし、出ない、電話に出ない。

朝8時前の「ゴミだし確認」。

ほっとしているだろう10時に「血圧測定確認」。

昼過ぎには「今は何しているの?」と意味もない声かけ。

夕食後を見はからって、

「今日のプロ野球の先発は誰?」

などと、突撃娘の電話攻め、なのである。

が、どの時間帯も10回以上のコール待ち。

 

外出しない時の母の携帯は居間のサイドボードの上で置物のようにかしこまっている。

携帯に出ないということは、母は居間にいない。

一体、何をしているのか、呼び出し音の前で携帯のディスプレイを見つめながら、眉間にシワをよせている私、認知証になりそうなストレス。

 

ようやく出た母の面倒くさそうな答弁を聞く。

朝の8時は「2Fのベランダで洗濯物を干していた」と言い、10時は「庭の掃除をしていた」り「布団干し」をしていたりと、1Fから2Fを行ったりきたりと動き回る母のこまねずみのような姿が目に浮かぶ。

身長140センチ、体重38キロ、ほぼ小学生体型。

まさに生まれた姿に戻って行くのだろうか、人間は、と思わせるような退化ぶりで、毎月一回りずつ小さくなっているのでは? と思える。

 

さて、今年に入ってから、血圧が高くなった母。

薬を飲むほどではないが、医者から朝晩の血圧測定をした方がいいです、と助言されたものの、この測定を他人事のように忘れてくれる。

 

何度も電話をすると「そんなことやってる暇がない」と現役主婦のような言い分で軽く「ぷちん」となる。

ぷちんはまずいので「暇があったらやってねー」と普段は出さない気持ち悪い声を慌てて出す、という日々の繰り返しである。

これほどうるさく言っても何故か習慣になってくれないのは、本人にとっては、退屈な所作のひとつなのであろう。

 

また、怒らせてはいけないのだが、海馬萎縮のせいか、ここ数年母の性格は温和型から怒り型に近づきつつある。

 

この頑固さや怒りっぽいというのも老化のせいかと思っていたが、どうも認知症の症状であるとわかり、それなりの対処をとれるようになっただけでも海馬画像見てよかった、である。

 

そういえば、母の海馬画像をじっくり眺めていると、ロールシャッハ・テストのあの画像を思い出す。

面白い、というか、脳って気持ち悪い、脳みそって、だからいうのね、などとまじまじと見入ってしまう。

最近では脳の見方を把握してから、確かに萎縮していると判別できるようになった。

これで次回予約した専門医の先生のお話もすんなり聞けて、聞きたいことも聞けそうな気がしてきた。

 

よく見ると、海馬だけでなく、内側からも萎縮している感じである。

しかも言語や理論をつかさどるという左脳側がまずい、ような形になっている。

しかし、相変わらず家事をこなし、突撃電話の応対もまぁ普通である。

認知証といっても、まぁ普通の人が多いらしいのでもしかしたら、私も発症している可能性は0ではないよね、とも思う。

 

冬を越えて、実家に帰るたびに、母の言葉や行動はかなり面白いものとなってきているので、次回は「母に夢中、爆笑編」を記しておこうかと思う。

笑うこと必死である。