タイトルは堅いけど堅苦しい話ではない。

私とは対極の位置に座するおじさんの話である。
おじさんは今年還暦を迎えるものの、
私のバイト先で社長の右腕的存在として君臨している。
この年代にしては珍しく、家族が第一主義の人で、特に妻と末の娘をこよなく大事にしている。
毎年よく話題になるのが、妻への誕生日の贈り物選びと、娘の部活の話。
仕事を抜けて、駅ビルまで妻への贈り物を買いに行き、時折部活の娘から連絡がくると、これまた仕事を抜けて車で迎えに行く、という昭和のおやじとは思えぬ行動を当たり前のようにとる。
このあたりでも私とは対極の人なのだが、本命の大柱はこれではない。
健康自慢である。

とにかく「俺様健康」を日々聞かされ続けて、早10年。
途中入社のおじさんは私とほぼ同年齢であるのだが、
若い頃はスポーツ三昧だったらしく、老年期になっても立派な体躯を持ち、近寄るだけで私を圧倒する存在だった。

毎年健康診断の結果を見ては、一喜一憂する私を一笑に付し「10年してないなー、健康診断」などと周りに静かな健康アピール。
50過ぎてからあえてやらない健康診断に、どんな意味があるのだろうか。
そんなおじさんが、4月のある日、突然病院に行き、翌日には大腸がんが発覚した。
まさに青天の霹靂、社内の誰もが(といっても3人ぽっきり)言葉の出所を失うこと数分。

今まで病院で行う検査というものは順番待ちが普通と思っていた私にとって、当日から即、血液検査やCTやエコー、大腸カメラまでとスピード検査をするということは、よほど医者が本気になっているのだろうな、と、病院から戻るおじさんの話を薄々感とともに聞いていた。
毎年、医療費の更新を続ける私に、「○○さんの仲間になっちゃうなー」などと舌を出すおじさん。
隠していたパンツの穴を見つけられた子供のような表情で笑うのだが、その表情筋はやはり日々こけ続けている。

最初、単なる便秘が続くという症状で行った病院は会社から徒歩5分の場所にある。
便秘薬を買うより、安いかな、たまには保険証使うかな、というお気楽感で徒歩5分という選択になったらしい。
その程度で足を運んだ病院である。
しかし、ここ2週間で、おじさんは何も迷うことなく、その病院であれよあれよと手術までの予定を済ませていた。
そして、あれよあれよ、話し出すおじさんの話に小心な私はおののく。
今年の1月から10㎏も痩せたこと、母親が大腸がんをやっていること、腹痛が1ヶ月続いている、などなど、普通の人では「ちょっとやはり何かおかしい」という体調なのであった。
しかし、本当に人の病気の話は、聞いているとやりきれない感があり、自分の肝に銘じる。

おじさんは、検査から3日目には精密な検査入院もしてその際、内視鏡でポリープなどもとったなどと言う。
開腹手術の予定があるのに、わざわざ内視鏡で何をしたのだろう、という疑問が私はわくのだが、おじさんはどこ吹く風の三太郎である。

驚いたことに、検査入院の退院日の午前10時、会社のドアが開きタイムカードを押す音がして、バッグを抱えたおじさんが、ヤッホーという表情で登場。
家に帰らず、会社に帰ってきたのか。
急ぎの仕事などないはずで、社長からはゆっくりして下さいといわれていたのに、何を好んで時間を浪費するのだろう。

自席に座り、PCの電源を入れ、ネットサーフィンを始めている。
「病室、ネットができなくてさー」
って、当たり前でしょうなのだが、おじさんにとっては病院というものは、非日常、わが辞書にないものであって知る必要のないものであるらしい。
多分、自分が病気になっているということにも向き合っていない様子がありありで、事は他人事のように過ぎ去ると思っているようである。

入院前にもかかわらず、会社で相変わらず夜遅くまでPCの前に座り、昼は365日手弁当、夜は遅く帰宅してからの夕食という日常を続けている。
仕事での頼まれごとはないのだが、病室でYouTubeでも見たいからポケットWifiを購入して欲しいと言われ、社長決済で購入したり、季節が良いので散歩コースを選んだりと何ともお気軽なおじさんなのである。

非日常でありながら、日常とほぼ変わりなく過ごすことができる、これは本当にすごいことである。
しかも、まかり間違えば命にかかわるかも知れないのだが、おじさんは、全くそんなことは思っていないようなのだ。
同じ病気を患った母親も90近くになってはいるが、ぴんぴんしているという。
そのせいか、家族にも深刻な空気はないそうで、この突発的な出来事も軽く扱われているそうである。

こういう人、いやこういう家族がいるのだなぁ、と私はきょうび感心するのである。