初めて覚えた四字熟語が「喜怒哀楽」であった。
確か小学校1年の通信簿の担任のコメント欄にその文字があり、すんなり読めなかったので母親にしつこく聞いた覚えがある。
担任の先生は定年間近のおばあちゃん先生で、今思えば、老熟した眼力の持ち主であったといえよう。
その後の私の通信簿欄のコメントに、この四字熟語は良いにつけ、悪いにつけ、頻繁に登場した。
つまり、私は生まれついての感情型の人間であって、この年になって日々、そのことに辟易するという毎日を送っている。
今鳴いたカラスがもう笑った、と親によく言われた、ような気がする。
感情の起伏の激しさが自分を縛り付けている、ような気もする。

何か事が起こると、深呼吸して考えよ、ということが頭からすっぽりと抜け、とりあえず、騒ぐ。
家族や知人を巻き込んで、ジタバタとただ、騒ぐ。
この傾向が年をとるにつれ、ひどくなってきたのは、やはり一種の老化現象ということでしめくくってもよいものだろうか。
いや、老化しても冷静な人は冷静である。
そう、2つ上の兄は幼い頃から、何事が起こっても、滅多に怒らず、騒がない、人であった。
同じ遺伝子を持つ人間とは思えないところがあって、私は本当にこの人の妹なのか、と思う時がある。

私が騒いでいると、冷めた目で不思議な生物を見た、というような表情をして、何をそんなにキンキン騒いでいるのか、とよく言われた。
そんなにキンキン、していたのか、私は、とまたうなだれる。うなだれるのだけど、何事は何事として存在したままで、解決する脳というものが働かない。

思索する脳、考える脳、この部分が脳のどのあたりにあるのか、わかってもどうすることもできないのだが、多分それが未発達のまま生まれてきたのかもしれない。

感情をコントロールするためのなにがし、みたいな本が世に沢山出回っていて、数冊手にとってみたが、何の役にも立たないわが感情、これとどのようにつきあうべきか、冷静な解決法が見つからない私の脳なのである。