なくても不都合はない、と、思っていた。
そんなものはこの世に沢山あるのだが、あると心に余裕ができる、そんなもの。
バイト先の小さな会社の小さなキッチンで出勤日には必ず、ふきんを手洗いしている。
今朝、1ミリになった固形石鹸をふきんに包みこみながら、やっぱりこの薄さになると、洗いにくい、と、じっと手をみる、の私なのである。
ふきん洗いもトイレ掃除も室内掃除もこの会社では誰からの指示もない。
この会社において、掃除、整理という分野は仕事にも日常にも見当たらない。
たいていはバイトか新人のお決まりの役割であるこの「掃除業務」。
その観念が全くない経営者の恩恵を受け、掃除の落としどころが曖昧なまま、今年創立35年を迎えた。
この間に4回事務所を変わったらしい。
事務所の掃除は、年々、家賃が格下げされてゆくオフィスの引っ越し時に行う。つまり35年で4回が全社員揃っての掃除回数ということになる。
日常の掃除ルールは、「汚い」その状況に我慢ができなくった人がするといった単純な根比べである。
小さな会社には経営者夫婦を含め、現在女子3人、男子2人と計5人が在籍しているが、我慢比べにいつも負けるのは私である。
特に、トイレとキッチン周りに対してはほぼ完敗状態。
というわけで、私だけが洗うふきんの石鹸がこれ以上にない薄さに近づきつつある午前10時なのである。
ふきんを洗い終え、キッチンから事務所へ移動し、社長夫人の席をちらっと見る。
勤務中なのか自宅にいるのか分からないほどくつろいでいる社長夫人は、毎日、2つの携帯で怪しい会話に夢中である。今も人差し指と携帯の画面を顔に近づけて、真剣にメール入力を行っている。
そんな夫人だが、とりあえず、備品の購入の際は一声かけることになっている。
石鹸がなくなりそうなので、お願いします、と、携帯とにらめっこしている夫人に声をかける。
「あっ、せっけんねー、ちょうどよかった、うちに沢山あるのよ」の蝶が舞うような声高な言葉に、向かいの席のパート女子と目があう。
「でましたね」というサイン交換である。
「えっ、手を洗うふつーの固形石鹸ですけど、あるんですか?」
「あるある、ダンボール1箱はあるのよ」
「??? ダンボール1箱って、すごいですね」
そんな展開の会話を先日もしたような気がする。いや、1週間前もしたような気がする。
どうやら、「ちょうどよかった」の社長夫人はなぜか自宅に色んなものを在庫しているようなのである。
先週の「ちょうどよかった」は確かインスタントコーヒーとクリープであった。
銘柄はネスカフェゴールドブレンド。クリープは黄色いフタのあの森永のクリープである。
私がバイトとして働き始めた頃は、この会社も社員、パートをあわせ、50名ほど抱えたそれなりの会社ではあった。
当時は、朝のコーヒーといえば、社長夫人お気に入りの店で買うキリマンジャロで、数台あるコーヒーメーカーには入れたてのコーヒーは欠かさない、というプチ優雅な社風でもあった。
が、人の減少と共に事務所のレベルも駅からどんどん遠くなり、それと共にコーヒーもインスタントが定番化するようになった。
しかし、銘柄はゴールドブレンド、森永のクリープというところで嗜好品にも、一匙のプライドが死守されているようであった。
「あるのあるの、ちょうど沢山あるのよ、○○ストアーで安売りをしていた時、お一人様1点なんだけど、何回も足を運んで20本近く買ったの。ほら、うちはインスタントはこれしか飲めないから」と社長夫人は、「飲めない」という言葉に特に力を入れた後、「明日持ってくるから」とグッジョブ表情で言うと、即座に携帯の世界へと視野を移動させるのであった。
取り残されたように席へ戻った私の頭の中に20本のゴールドブレンドが積み上げられる。何度もレジへ向かう社長夫人の姿も描き出される。平日、午後になると空席になる社長夫人は、こんなことに夢中になっていたのか、とがっくりと気が抜ける。
しかも、20本の衝撃でクリープのことをすっかり忘れていたのに気がついたのは、退社後であった。
他に「ちょうどよかった」で忘れられないものといえば、鉛筆けずりと扇風機である。
仕事柄、頻繁に色鉛筆を使うため、手動の鉛筆削りは当社にとっては必需品のひとつである。
各自、小さな鉛筆削りをデスクの上にキープしている。そのうちの2台が同時に壊れ、早速購入しようとネットで検索し、即座にお買い上げのはずであった。
ちなみに事務系の備品については購入権を持つ私である。
事務用品については、余程高額商品でない限り、事後報告でよろしい、と言われるまでの信頼関係が経営者との間に成立している。
が、なぜかこの時、社長夫人が別の用件で私の席へ来たので、事後報告の意味で鉛筆削りを購入します、と声をかけた。
と同時に、お買い上げボタンにマウスをあわせたその瞬間、まさかの「あっ、ちょうどよかった」が出たのにはさすがの私も言葉をなくしてしまった。
いわゆるあんぐり状態である。
「娘の部屋にごろごろ転がってて、困ってたのよ、ちょうどよかった」
ごろごろとはどういう状態なのだろう。確か娘さんはパラサイト族のアラフォーであったはず。
パラサイト族40代の娘さんの部屋に鉛筆削り器がごろごろ。どんなストーリーが隠されているのかと、展開の枝葉が想像をかきたてる。
本来、自宅の鉛筆削り器は「ごろごろ」していてはいけないものである。
必要な時、どこにあったかしらと探すような代物だ。一体、何のために転がる展開になっているのだろうか、とお買い上げボタンとともに私はフリーズしたまま考え込んでしまった。
「扇風機」にいたっては、ありがた迷惑的な在庫でもあった。
自宅で買い換えるたびに処分できずに残された扇風機が3台ほどあるという。壊れたわけじゃないけど、機能に不満があったり、部屋の雰囲気と色が合わなかったり、という、子どものわがままのような理由で物置に置かれている扇風機。捨てるのも勿体ないし、の勿体ないの言葉がピンとこない節約度である。
まだ使える扇風機を買い換えることの方がよほど勿体ない気もするが、とりあえず、扇風機はまたまた「ちょうどよく」事務所に配属されたのであった。
他にも過去に、フェイスタオル、45リットルのビニール袋、角2の茶封筒、梱包に使うプチプチ等が提供された。
たいてい提供される物は量も半端なく多いのにも驚かされる。石鹸もそうであったが、タオルや袋もダンボール一箱というパターンである。
タオルは、ブランド物も混在していて、これらはどういった経路で社長夫人の元に届けられたのだろうと、くだらないことを考える羽目になる。
言い忘れていたが、社長夫人は昔からマルチ商法にはまっているので、そちらの世界から流れてきているのだろうか、などとも推測される。
時折、届く夫人宛、数万円の着払いの小荷物便もすでに常態化し、社員の間では尾ひれのつく話となっている。
「ちょうどよかった」の物品、次は一体なにが出てくるのかと今や私の仕事の合間の息抜きともなっているのかもしれないのだが、この件に関しては喉にひっかかった小骨のようにすっきりしないのである。