前髪が問題らしい、彼女の朝である。
朝7時台の電車に乗ることなどほとんどない家庭の半端主婦である。
通勤時間帯の電車はそれでなくとも避けたい半端主婦であったが、そうもいえない事情を抱えた朝でもあった。
昼間のだらけた車内とは明らかに違う空気にやや緊張しつつも、始発なのでスマートに席を確保できたことに気持ちにゆとりができ、ぐるんと車内に目を向ける。
土曜日なのに車内は学生で一杯である。ああ、そういえばとうにゆとり教育は終わったのだったなと、そんな普通のことにも思いをはせて一息つく。
心地いシートの進化にゆるんだ気持ちとお尻をゆだねて、久しぶりに味わう電車の揺れを満喫する態勢に懐かしい車中うとうと感がよみがえる。
そんな高齢者直前のゆるんだおばさんの前を三角の黒いつり革につかまることもなく、女子学生たちは安定した姿勢で私の前に立ちはだかっている。
多分当人たちは軽く立っているだけなのだろうが、男子学生並の圧迫感におののく。私の視線の位置は、彼女たちの太ももの辺りである。
膝丈のプリーツスカートから伸びる膝下の長さがどの女子も半端なく長い。モデルのようになめらかで美しいふくらはぎがこんな一般女子にも普及していたのか。DNAの進化はどこへ向かっていくのだろう。
部活をしているのであろうか、車内にいる同じ高校らしい全員が約束事のようにバッグを各自3つ所持している。
そのひとつ、「○○high school」と刺繍されたお揃いのリュックが何事かと思うほど膨らんで大きい。背中から臀部の辺りまで立体的なケースのようなリュックである。これはもしかしたら、リュックとはもう呼ばれていない背負子なのかもしれない。
そう、何かに似ていると思ったら、赤ちゃんだった。赤ちゃんを背負う母を思い出し、こんな年から女は背中に何かを背負う性なのかと感慨深く、頭を垂れる。
他のふたつのバッグはショルダーだったりトートだったりのフリーデザインである。
缶バッジや大きめのぬいぐるみがバッグの主体性を無視するようにつけられている。全面バッジというバッグもあってなかなか見ていて飽きないのである。
見ていて飽きない、といえば、前髪の話であった。
斜め前の女子は電車の発車と同時に前髪に夢中なのである。「前髪を束ねて縛る」に「かわゆく」をプラスしたくて仕方ないらしい。隣の友人を鏡がわりに、5cm程の前髪を何度も結び直したり、編みこみ直したり、ひねったり、分けたり、とにかく大変な作業を続けている。
リュックとその他2つのバッグが彼女の作業に少なからぬ影響を与えているのは確かな気がする。
しかし、3つのバッグをお供にしたまま、彼女は4つめの駅を通過しても、鏡友人に「これでいい?」「ここ、ぐちゃってない?」などと成功したかに見えた結びをまたまた紐解くのであった。
進化したDNA女子にとって、前髪は結ぶものとなったのか、私の時代は留めるものであったと思いつつ、彼女の奮闘ぶりに、私のうとうと脳は覚醒したまま目的の駅に到着しそうである。
女子学生たちの気配がざわついて、ふと見ると、彼女たちの靴の先が出口方面へと向きを変えつつある。
次の駅は刺繍された○○の地名の駅である。どうやら、最終フィニッシュの段階になったようだ。
彼女の前髪はいわゆる「ちょんぴん」型でなく、ひねりと編みこみを加え、自然な額を形どるなかなか美しいアーチ型の結びとなりつつある。
電車がホームに滑り込む直前まで粘っていた彼女だが、いいじゃん、いいじゃん、と鏡友人、その横友人にだめ出しならぬ後押しをされ、ようやく彼女の朝は決まった、らしいのであった。