ふと思い立ってソウルに行ってきた、という同年の女優のコラムを読んだ。
中高年と位置づけられるこの年齢、女優に限らず、「ちょっと海外行ってくるわぁ」のそんなおばさんは今や珍しくもないのだが、私にとってはため息の一文であった。私が思い立っていける場所といえば、目下のところ家のトイレ位である。
海外とはいえ福岡レベルの飛行時間らしいが、まず私の場合、空港までたどり着けるか、から始まる。
最寄駅からの直行バスもあるし、電車という交通手段も、昔に比べたら時短となり、運行本数も多いのだから、行く気になれば案外「大したことない」となるのかもしれないのだが、多分私にとってバッグひとつの荷物が重い、とか、駅まで何で行こう、とかのくだらない仔細がアドレナリンを消滅させる。
数年前から、旅行といえば、車で行ける距離を迷わず選択するので、行く場所は限られ、旅の気分は年々色あせてゆく。そのせいか最近はもう、旅するワクワク感は半減していくのみ。
あれを食べたいから、これを見たいから、と明日、飛行機に乗っちゃおう、というノリは到底私の生涯にはあり得ない行動パターンである。
だが、こんな気ままな感じで日常を過ごせたら、人生はきっとかなり楽しくなるはずだ。
そういえば、もう少し年上の女優もよく旅に行くコラムを書いている。
先日読んだコラムでの行き先はインド。
インドに行くのに2日位で予定をたてて、行ってしまうという荒業。その身軽さと思考の直線感に、法令線を更にさげたワタクシはもうぐったりと称賛してしまった。
旅のスケジュールは友人がお膳立てしてくれたらしいが、それでも仕事をこなした翌日、サンダル履きで空港に行っちゃうとか、そういう漫画みたいなノリをする人が実際いることに驚きと羨ましさが入り混じって、ため息しかでない。
私の場合、練りに練って行くのが旅である。そして練りに練っているとそれだけで疲れていくのが私の旅でもある。
ここ数年、たまに行く旅先でも中高年女子と中国人は異様に多い。
異様に元気な中高年女子たちが徒歩や電車を利用して旅行している姿もよく見かける。声高に旅行気分を満喫している近寄りがたいあのパワーは、日々不調な私にとってはあまりにもまぶしすぎる。。
きっとあのパワーの源も「ふと思い立って」行ってみようという単純な思考パターンから生まれているに違いない。
話は変わるが、既に見た私の韓国ドラマ暦も50話を越えた。
同年の女優のように、ふらっとソウルに行って、あわび粥とサムゲタンを食べてみたい、とふと思ってはみる。思ってはみるが、机の引き出しには期限切れのパスポート。まずはパスポートの申請へのあれこれから始めねばならないのかと、凝り固まった肩を落とすのであった。