3月末に入居した隣人が怪しいのである。

思えばこのアパートに入居して28年、甘いも苦いも経験した私達夫婦にとっては、歴史的価値のある住まいである。
入れ替わる隣人は日常生活を健やかに育む上でかなり重要である。
最初の隣人は「薬袋さん」という老婆であった。
薬袋、「みない」とは珍しい苗字だったのだが、どうやらこの土地周辺の主のような人であったらしい。
ちょっと歩くと「薬袋」の表札が数件あって、どこも立派な戸建であった。
しかもこの薬袋姓、調べてみるとルーツには武田信玄がからんでいることがわかり、元々は山梨県の人なのね、と父親が山梨出身の私としては、ちょっと親しみを感じたりした。
さて、初めての隣人、薬袋さんは老婆という言葉がふさわしい、ひっつめ髪に和服という出で立ちのきつい顔をした気難しそうななおばあさんであった。
和服の上に白い割烹着をつけて洗濯物を干す姿は干からびた風情があった。
この薬袋さん、隣人としては100点満点の人であった。
気配を消した生き方、というか、隣に人が住んでいることを忘れてしまう存在で、これはやはりルーツに忍びの血が流れているのかもしれないなどと勝手に妄想の羽を広げていた。
そして、本物の刑事を間近で見たのも薬袋さんのお陰であった。
あれは忘れもしない、という書き出しがぴったりな出来事が秋の夜に起こったのである。
その夜、私は太陽にほえろ的に塀を乗り越える本物の刑事を見、そして隣人に関した職質を受けた。ばだばたと刑事さんが数人塀を乗り越えて、とは、何事かと思ったのだけれど、後日知った話の顛末は結構お粗末なものであった。
薬袋ばあさんは、どうやら認知証にかかっていたようで、認知証には欠かせない症状のひとつが出て、その夜「財布をとられた」「泥棒が入った」という110番をしてしまったらしい。で、即、刑事ばらばら出動って、本当にあるのだとびっくりした。
もしや私への職質は「一番怪しい隣人」としてのものかもしれなかったのに、私は異常にハイになってテキパキと刑事さんに受け答えしていたような気がする。
ある意味、恥ずかしいおばさん的経験であった。
この後、1ヶ月で薬袋おばあさんは親戚の家に引き取られ、穏やかな隣人生活は終止符を打った。
さて、初めての隣人さんから28年の間にどの位住人が入れ替わったのかと、新しい人が入居するたびに思い出そうとするのだが、ほとんど覚えていないことに気づく。
覚えているのは最短2ヶ月で出て行った独身男性とか、子供ができるとあっけなく引っ越す新婚さん位である。私達のように2桁の年月を過ごす入居者はいなかったので記憶も印象も残らない。
だが、ようやくここで、怪しい隣人が登場したのである。

 ちょっと疲れたので次回に続きます