劉暁波氏の訃報に接し、心から悲しく思っています。彼は、私と同じ年齢。
アムネスティ日本のHP、以下のアドレスの右下に記事検索がありますが、その検索に「 1989 」と入れると、天安門事件のことが詳しく記されています。
http://www.amnesty.or.jp/human-rights/
その年。
私は6月はじめに、九州のある大学で日本商業学会全国大会の報告をしていました。漸次的社会工学的アプローチによる研究構想を発表していました。中国の若者たちのことを気にしながらの報告でした。学会報告を終えて関東に戻って、すぐに、起こり得た悲劇が予想をうわまわる悲劇となったのでした。
劉暁波氏は、その時から、強烈に私たち西側の人間を刺激しました。
心からの哀悼の意を表したいと思います。
劉さんを、日本に招きたいという声があがらなかったあたり、今の政治家の弱さを感じました。
昨日の日経が、習主席を前に、劉氏の話題を出す人がいなかった、と小さく書きました。私もそう感じていたのですよ、なんてことでしょう?西側の代表者は、なんてことでしょう?
獄中の人となった劉氏にノーベル平和賞が与えられた年に、中国がGDPで日本を抜いたと、新聞は書いていましたが、理性的な人間はそんなことは{なんでもないことだ}とわかっていた。
そう、私が中学生の時に、日本は世界2位のGNP(当時)になった、って伝えたけれども、普通の人々の暮らしが、圧倒的に、ドイツや英国やフランスの普通の人より貧しく、だからこそ勤勉に働いていることなど、子供にだって、日経新聞を家でちらちら見ていればわかることでした。
アホノミクスでもイコノミクスでもエコノミクスでも、何にせよ、経済的豊かさの指標など、いったい、だれに関係するのか!
なんとも言えない怒りの正体は簡単だ、あの優秀な留学生が、帰国して、選挙権もないって? そんなばかげた話はないでしょうという、あたりまえの主張をして投獄された思想家に対して、本気で手を差し伸べる国家のリーダーはいなかったということだ。
経済的な豊かさをどう考えるのか。西側と言われた諸国の(現在は韓国を含む)一人一人が、少しだけ、考えてもいいように思います。学生にはこういうことを、少しだけ、考えてほしいと思います。