帆立の夢 | + AcetiC AciD +

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  創始の仮定+思想の過程=化学変化<生来課程

寿司が出てきて、
ネタの確認をしていると

やたら帆立が多くて、

『帆立が…』

と口にした瞬間
chiotさんに突っ込まれ、

夢だったと気付いたある日の夕べ。




…どうも僕です(爆)




ちなみに上記は事実ですが
決して食い意地が張っている訳では
ありません。

念の為言っておきますが


仕事の夢です!



…さて、それはさて置き
(置くのか)



色々とありまして、

もうすぐ震災から1年。



色んな特番があり、思い起こす事も多々あれば
まだまだ心配なことや
不安も残る中、人間の強さが特に
クローズアップされてますね。

復興にかける思いや努力、
こういう時に
人がもともと持っている

強さの真価が問われるのかもしれません。


それに対して
『弱さの真価』って言葉は
あまり聞きませんね。


でも私、『弱さ』は『強さ』の原動力だと思っています。

自然の脅威の前に、人はあまりに弱い。
だからこそ、強くあろうと、
強く願い、強く生きようとする。

苦難や逆境に行く手を阻まれた時
人はそこで、弱さと強さの真価を
同時に発揮するのだと思います。

強さは前向きさだけが全てではなく
弱さは後ろ向きさだけが全てじゃない。

弱いからこその本能もあり
強いからこその想いがある。


あの時
例えテレビでも、見て、
例え軽度でも、体験したこと、
感じたことを

忘れちゃいけない。


ニュースにもなった、重度被災地の方が
インタビューに応えていた言葉を
今も覚えている。

『普通に生活して、たくさん笑って。私たちもすぐに追い付きます』


あの光景を目の当たりにした直後に
この言葉を発した人の壮絶さに、
頭を殴られた気がした。

買い占め問題や自粛騒ぎの
真っ只中。

ただの弱さは

被災地を中心としてドーナツ化現象のように

彼らではなく私たちの方にある、
そう思った。

それを忘れない。


そして、同じく弱いであろう彼らが
『強さの真価』を発揮していた。


それを、忘れない。


『人の真価』が『強さ』とも思えた。
『弱さ』は、その原動力であると同時に
『強さ』を伴わなければ、ただの傍観者。


不安は消えない。
余震はあるし、原発の問題もある。

だけど、復興を強く目指す現地の人が居る限り、
傍観者にならない為にも

私も 強く願い、強く笑っていよう。
弱いからこそ
希望もあり、夢もある。

それがあるから、強く進める。


わすれない。