過去絵紹介 【サロメ】 | + AcetiC AciD +

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  創始の仮定+思想の過程=化学変化<生来課程

データの整理をしていたら、久しぶりに見かけたので、ちょっと紹介。。。

特段、理由があるわけではないんですが、ただの気分です(笑

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↑こちら、私が描いた【サロメ】、完成は2002年。
 油絵、横73cm*縦91cm(F30キャンバス)

学生時代に、野球部ながら美術部に間借りして、ちまちまと1年ちょいかけて完成させました。
下手ですみませんw


この絵の「サロメ」は、新約聖書に出てくる、「ヘロディアの娘」のことです。キリストの弟子として伝わる「サロメ」という同名の女性も登場しますが、こちらは全くの別人。キリストの生涯の中で、重要とされる、洗礼者ヨハネの処刑シーン。刎ねられたヨハネの首を持つ姿があまりに浸透しすぎて、一般的には悪女として名高い彼女ですが、原作である聖書の中では、根っからの悪い子じゃありません(汗)

父親が亡くなった為、母親が再婚。その相手が、父親の兄であった為、ヨハネに婚姻を否定されてしまう。んで、継父はユダヤの王様なんですが、サロメを溺愛。宴の席で、サロメに舞を所望します。舞の褒美に、望むモノを何でもくれてやると言う訳です。そこで、ヨハネを邪険にした母が、サロメをそそのかし、舞の褒美に、ヨハネの命をもらえと吹き込むのでした。。。

というのが、新約聖書に著されている事と次第。むしろ悪者は母親なんじゃないかという。。。


とは言え、宗教画などのクラシックな絵画の中には、様々に題材として取り上げられており、ルネサンス期からだいぶ後ではありますが、私のお気に入り作家であるギュスターブ・モロー(フランス)という画家に至っては、生涯に何作も、サロメを描き残しています。

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↑こちら、私の好きなモロー作、サロメシリーズの1つ、【出現】です。
 うわぁ…迫力が違うよ。。。


何故、そのサロメが悪女の仲間入りをしたのかというと、近世に入ってから、オスカー・ワイルド(アイルランド)という劇作家による、戯曲「サロメ」が大ヒットした後のこと。1893年、フランスでの初演を皮切りに、それは舞台から映画に代わっても、現代まで長く公演が続いています。
この戯曲、「サロメ」は、ヨハネではなく、サロメに焦点を当てた物語です。まず、サロメは、既に父王と母によって捕えられ、井戸に閉じ込められていたヨハネに出会い、恋をしてしまいます。振り向いてくれないヨハネを、父王へ捧げる舞と引き換えに、殺してまで手に入れる。ラストシーンは、首だけとなったヨハネに接吻をし、感動に打ち震えるサロメの姿…という、かなり非人道的、かつスキャンダラスな内容となっています。

オスカー・ワイルドとは、『金の王子の像が、話し相手であったツバメに自分の体についている金箔をはがすよう頼み、それを街の貧しい人々に運ばせる…』という童話、『幸福な王子』を書いた人でもあります。自らの金箔を全て人々に分け与えてしまい、地が剥き出しになって汚らしくなってしまったことから、人々に忘れ去られていく王子像と、その願いを聞く為に、仲間が南へ渡っていくのを断り、冬の到来とともに、王子の足元で死んでいくツバメ…という、何とも慈愛と皮肉に満ちた物語。

片や悪人、片や善人…という単純な言い方もできますが、この両作のエンディングを見る限り、究極の精神性バッドエンドを好んでいるようにも思えます。。。大丈夫でしたか、ワイルドさん。。。


さて、このワイルド氏の「サロメ」で、一躍ファムファタール(魔性の女)デビューしたサロメですが、更にその妖女っぷりに華を添えた人物が、オーブリー・ビアズリー(イギリス)というイラストレーター。25歳の若さで没しているのですが、版画を思わせるような筆致で、ペン画によるモノクロの画風が特徴的。風刺画なども描いていたようですが、ワイルド氏から直々に依頼を受け、戯曲「サロメ」に挿絵を入れ込んだのがビアズリー氏。狂気に満ちたワイルド氏の戯曲に、鬼気迫るビアズリーの挿絵群。まさに、悪女としてのサロメが確立されたのは、この頃であろうと、私は思っています。。。笑


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↑タイトルは『クライマックス』。挿絵の依頼を引き受ける前に、自発的に描いていた
『お前に口づけしたよ、ヨカナーン(ヨハネ)』というタイトルの絵を元にした作品。
 ………サロメこえぇよ。。。泣





さて、熱くサロメについて語ったところですが、興味の無い方はすみません 汗
何故こんなに語るかというと

勝手に何となくですが、私はサロメに縁がある、と思っているからです(え


別に信者ではないけれど、小学生の時、すでに新約・旧約聖書を読了していたので(本の虫でした)、「ヘロデイアの娘」は知っていたのですが、「サロメ」を描こうとしたきっかけは、舞踏人物のスケッチをしていた時でした。間借りしていた美術部の顧問教授(宿輪 忍生氏)による一言。

「サロメみたいで良いじゃない?」

でした。

聖書の「ヘロデイアの娘」と、一般的な「サロメ」が結びついていなかった私は、そこからサロメの事について、在籍大学の図書館でかなり調べたわけです…笑

そこで最初に、ここに名前を挙げた、モローとワイルドの存在を知りました。まずは知識をと、ワイルドの戯曲、「サロメ」を本屋で購入。そして、衝撃。
ビアズリーの挿絵のエグさに相当ビックリもしましたが、その挿絵の中の一枚に驚き。『黒のケープ』というタイトルで、戯曲自体には全く関係の無い挿絵の一枚として収められている絵が、幼少期、複製品として我が家にあったものだったんですねー。

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↑それがこちら、『黒のケープ』。
 確か所有していたのは母だったかと。しまわれてしまったのか、いつの間にか無くなりましたが。
 幼いころは、かなり気持ち悪い絵だと思っていました 笑

で、親近感が湧いてきました。知らなかったとはいえ、ずっと目にしていたものだったので。。もちろん、本も完読しました。戯曲なので、文体は台本かのようでしたが、だんだんと我を失っていくサロメが、相当印象的でした。


更に、油絵の制作に取り掛かり始めてから最初の夏休み、大学の課題に、『博物館や美術館など、ジャンルは問わないので、最低1つ以上の展示を見て、レポートを提出する』というものがあったんですね。私は迷わず美術館を選択。部活の合間を縫って、上野公園へと。
当時は東京の国立市に住んでいて、市立美術館も考えたのですが、どうせいくならと、東京都立美術館をロックオン。しかし、改札を公園側へと出て、まず目に入ったポスターに愕然としました。それがこれ

「ウィンスロップ・コレクション」とかいう名前だったから、全然気にしてなかったんですが、『あのポスター!!モローのサロメじゃん!!!』とかいう感じでした。図書館で資料として小さい絵は見ていたのですが、実物が見られるなんて考えもしてなかったので、相当奇跡的な遭遇でした。
しかも、上野に行かなかったら、気が付くどころか、全くの問題外。

迷う時間なぞ無く、アッという間に、足は国立西洋美術館へと向かっていました。。笑


実物は、畏怖の念を持って拝見しました。
感動しすぎて、何が何だかよくわからないまま、って感じで。
モローの作品は何作か展示されておりましたが、そのすべてをポストカードで揃えて
帰宅してきたのを、今でも覚えております…笑
というか、今も持っていますw

その時、HPはもう持っていたので、当時の様子はブログにアップ…していたのですが、CGI-BOYというサービス…前略プロフとかのトコ、あるじゃないですか。あちら、過去に一度、日記サーバーがダウンして、全国の利用者の日記が全て飛ぶという、致命的なミスをやらかしまして、例に漏れず、私の日記も被害を受け、もう残っておりません…(泣
何がって、私が一番泣きたいよ。。。TT

とにかく、そんな経緯があって、親近感は何倍にもなってしまったのですね。。。なので、私にサロメを語らせると止まらない、という具合です。

かなり長期的な色んな偶然が重なって、「サロメって何よ?」というちょっとした疑問から、過去の作品にたくさん触れ、憧れのモローの作品まで行き着いた私は、既に取り掛かっていた油絵の構図を中断して、また新たに描き直したのでした。

モローやビアズリーのような完成された絵画は私には描けないけど、私には私のサロメがあるんだ、コノヤロー!!みたいな感じで。
踊る人物のスケッチから始まったので、最初は背後からのアングルで、回転する女性を描こうとしていたのですが、完全にモローの静止したサロメに感化されています。。。更にワイルドの退廃的な一面、ビアズリーの恥美的な側面、あーもう全部くれ!!!!みたいな感じもありました。
とにかくこの感動や縁を、伝えたいというだけだったんですが(笑

かなり欲張った割に、今見ると微妙な作品ではあります。が、当時一生懸命だった記憶だけは、いつまでも本当だと思います(笑

いつかまた、描きたい題材です。



その前に、油絵やっても大丈夫な場所を探さないとですね。。。



アパートだと、匂いや絵の具の付着がね…汗



でも、必ず。
進化したサロメをお見せできればと思います。



以上、
つまらない話でしたが、最後まで読んでくれた方、お付き合いくださってありがとうございました!!