今の自分ではアカン。


どれほど強く思えるか。


すごく大事。


なんたって、普通、人は、自分のことをアカンと思わないから。


たとえ、アカン状態であったとしても、その状態を認めようとしない。


むしろ、アカン状態を正当化して良しとしてしまう。


自分の醜い部分に対しては、現実を直視しようとはしないもの。


直視することから、認めることから、逃げてしまいがち。


しかも、自分のことを良いものとしてとらえがち。


だから、最も重要な部分に対してフォーカスされにくいんよね。


フォーカスされないものは、どうにもならない。


考えることもなければ、どうにかしようとも思わない。


ゆえに、何も変わらないまま、膨大な時だけが流れていく。


そういう人が、いかに多いか。


すっごくもったいない。


だって、そうやって過ごすのは、自分の人生の時間を無駄にすることになるから。


時間を無駄に使うことは、自分の周囲にいる人に対しても失礼な行為となるから。


もっと、自分の醜い部分に、アカン部分にフォーカスを当てなよ。


そして、そんな自分を認めなよ。


アカン自分を認めることで、そこから本当の自分の人生が始まるんやから。


一つ上に行くには、まず、今のアカン自分を素直に認めることがムッチャ重要なんやで。


なぜなら、今のぬるま湯の環境に浸っていては、その状況から出ようとしないから。


出ようという気さえ起きないものだから。


アカンと思うからこそ、それが次に進むエネルギーとなるんやで。


ゆえに、どれほど強くアカンと思えるかはすっごく重要なこと。


ただ、自分に対して、アカンと強く思える人って意外と少ないのが事実。


そりゃそうじゃよね。


なんせ、そういう発想、思想がない人ばかりやから。


日本という恵まれた社会に住み、かつ、親に怒られることも友達に怒られることも減り、アカンと思える機会が減っている。


ましてや、倒産、大病、投獄に入るようなこともそうあるものではない。


今までの自分がアカン、と思える状況ではないがゆえに、今の自分をアカンと強く思えなくなっている。


そういう環境が、周りに合わせる自分を作り、流される自分を作り、「まぁいいんじゃない」と甘やかせる自分を作る。


こうして、自分自身のレベルが徐々に落ちていくものなんよね。


なのに、当の本人は、このことに気づかずにいる。


それが、非常に危険なことでもあるにもかかわらず。


人って、自分のことはあまり見えないし、見ようとしないものなんよね。


そのため、今まで以上に自分に意識を向けなよ。


とはいえ、自分を否定する必要はない。


なんたって、自分という人間の存在価値や人格といったものは、素晴らしいものなんやから。


それを前提とした上で、今までの自分が出してきた結果に対しては厳しい目でとらえること。


本当に、満足する結果なのか、心の底から納得できる結果なのか、どこかで妥協していないかは、シビアにとらえること。


大概の人は、今の結果に妥協して、一つ上を目指さないようになっているもの。


今の自分をアカンと思うことから、認めることから逃げることを選び、現状維持を選んでいるもの。


ただ、自分では現状維持をしているつもりでも、多くの場合、じり貧で下がっているんよね。


その証拠に、手取りとして得るお金は減っている人が多いから。


手取りが減り、現状維持ができなくなっているのが大半の人の現状。


アカンと思うことなく、しかたないで済ませる。


これって、実は、思考の停止であり、意志の放棄でもあり、決定権を他者に委ねる行為でもある。


しかも、思考が停止するから、どうしたら良いのか、どうすればより良くなるのか、といったことを考えることがない。


考え続けていたら、それなりの答えが出ることは多いのに。



こういう認識がないことこそ、自分自身を危険に招いてしまっている事実。


よって、一刻も早く、逃げている自分に、妥協している自分に、甘やかせている自分に気づきなよ。


気づくことで本気でアカンと思えるようになるから。


すると、考え方も行動も何もかもが変わり、これからの人生が大きく変わるから。


案外、そんなものなんやで。


サコヤンの独り言

「アカンと思いにくい自分を素直にアカンと認めなよ」