ラジオを待ちながら アニーのこと THE YELLOW MONKEY | sakoのお気に入り anything you like

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こんばんは。

今夜9:30からの「MUSIC LINE」 楽しみですね!

今はそのスタートを待ちながらブログ書いてます。

 

さて、今日はロビンとアニーの回なので、アニーのことを書きます

 

アニーはなんであんなに髪がサラサラなんでしょう!トリートメントはしてると言ってたが。活動休止の前、短髪にしたときはショックだった~。

やっぱりアニーはロングがいい!

 だから、再集結したとき髪が長くて嬉しかった~。

 

 

ラブラブラブラブラブラブ

 アニーは再集結後のインタビューで活動休止後のことを

こんな風に語ってました。

 

 「ダメでした。

  俺は、イエローモンキーに縋ってたから。」

 

活動休止の間は、まだイエローモンキーの看板を背負っている。

だから、サポートとか中途半端な仕事をしたくなかったという。

 

「どうしたらいいのかわからなかった。このまま解散したく

 なかった。もう一回やりたいと思っていたから。」

 

 アニーは独特なスネアの音(私的には英国の伝説的ドラマー、ビル・ブラッフォードに似た音と思っている)と美しいハイハット。

リズム隊を組むヒーセのあの超個性的なベースにも負けないちょっと崩したドラミングが特徴的だ(と思う。すみません、あまりドラム詳しくないです)。

好きなドラムは「FINE FINE FINE」 と 「I」 。

前者では、あのイントロは最初のドンッから心躍るし、

後者は不規則でまるでメロディのような音を感じれる

ドラミングが最高だ。

 

 

 アニーは作詞や作曲に参加することはなかった。ロビンやエマが持ってくる原曲を料理する、彼は多分、職人的なドラマーだったのだろう(個人の感想です)。

そして何よりも、イエローモンキーを愛していた

バンドの中で最年少だったアニー。

あの時期の苦難は知っていてもまた集まれると信じたかった。

 

 だが、バンドは解散を決定した。

 

 「悲しかった。バンドの解散自体も辛かったけど、

 皆の気持ちが向いていなかったことが辛かった

 解散の1曲披露までの間、ずっとモヤモヤしていた。」

 

 「兄貴?(エマのこと)あいつは家に帰ってこないんだよね。(笑)

だから、会うのもイエローモンキのみんなで飲む時(解散してからも年に1、2度会っていた)のほうが多かった。それに家では、そんな話しないし。」

 なんだか胸が痛む。そのころ、すでにソロとしての活動を順調に進めていたロビンの姿をアニーはどう見ていたのだろうか。

 

 「でも、いざ解散が発表されると、ゲストドラマーとしてあちこちから

 声がかかった

 こうやっていけばいいんだな。って思った。

 ドラムから離れずに、音楽から離れずにやって行けば、

 きっと悪いことにはならない

 

 メンバーで飲むとき、何度か「もっかいやろうか。」という話も出たらしい。でも、いつも立ち消え。まだ機は熟していなかった。アニーももう焦ってはいなかった。

 

 「みんなの気持ちがそろわないと、

 もしやったとしてもうまくいかないだろうし。

 でも、もう一度やりたい。

 という気持ちがみんなにあることがわかっていたので

 慌てなかった。」

 

 そして皆さんもご存じの運命の日。

 2013年 7月 7日

 

 「もう一度、僕と一緒にバンドを

            やってくれませんか?」

 

 ロンドンのロビンからのEメールだ。

 

 「おっ。 て思いました。 おドキドキ(ハートマーク) みたいな。(笑)」

 

 「嬉しかったです。素直に嬉しかったです。カッコつけて返信したんだけどね。みんなもきっと同じだと思ってたし。」

 

 その日から、本当に再集結に動き出すまでは少々時間がかかった。

14年の暮れ、なかなか進まない再集結の活動。ロビンがみんなにこう言ったそうだ。

 「来年こそは、絶対やろう!大丈夫だから!」

 

 その言葉通り、15年の夏、彼等は解散から始めて、4人で同じスタジオに入り、演奏をした。最初の曲はもちろん。

 

 SUBJECTIVE LATE SHOW

 

  「あっはっは! 絶対そうだと思った~!」

 爆笑するアニーの声とめっさ明るいメンバーの笑い声が

 スタジオ中に響き渡った。

 

 ドキドキドキドキドキドキ

 おまけ

 

 アニーは知る人ぞ知る、高学歴なドラマー。偏差値75だったという。

大学は東京のC大

 実はこのC大卒のアニーの同窓生が私の同僚にいる。C大工学部。そのころのアニーは、まだ「キラーメイ」のドラマーだったらしい。

 ロンゲで長身のアニーは、やはり目立った存在だったらしい。

 

 「製図机を並べて勉強したよ」

 とかの同僚は嬉しそうに言う。

 

 「でも、俺と同年ではなかったんだよね。アニーは留年してたし。

  一緒にいたのは1年だけで、俺は先に卒業したから。あんま授業に

  来てなかったし、話したこともあんまりなかった。」

 

 なんだよ!友達になっとけよ! と私が思ったのは間違いない。(笑)

 

 大学を卒業し、今の会社に就職。

アニーが THE YELLOW MONKEY のドラマーとして活躍しているのを知ったのはテレビに出だしてからだという。

 

 「なんかね。嬉しかったよ。」

 

 と彼は誇らしげに笑った。

 私がイエローモンキーのファンと知って教えてくれた昔話。

 

 明るい校舎の中、製図版に向かって真剣に図面を書いている長髪を縛ったアニーの姿が目に浮かんだ。

 

 

 

 

 ※3月24日に訂正加筆しました。

 

 今日もありがとうございました。ラジオ早く始まれ~!

 

 また書きます!