TPPのニュースが連日のように報じられている。
変化が起これば状況が変わるから、
得する人、損する人がいる。
TPPに参加するといくつかの業界の構造が変わるだろうね。
そんな話は今日はいいとして、、、



TVを見ていたら、
「野田総理が国民に対して丁寧に説明をしているか?」
という質問に対して、
していないが圧倒的多数だった。



はっきり言って、
人類がコミュニティを築いて、
初期は超小さなコミュニティだとしても政を行うようになってから、
丁寧に右から左まで説明をしてくれるリーダーがどこにいたのだろう。



全部説明して、全部納得してもらえないと前に進めないのであれば、
それは国家である意味がないんじゃないの?
とか思うのです。


「まぁ、お前がいうなら黙ってついていくよ」

というように、リーダーを中心とした集団がだんだん大きくなり、
統治の仕方はどう(民主的、専制的など)あれ、
ある程度は同じ方向を向いて一緒に進んでいくためのコミュニティが、
肥大化した結果が国家なんじゃないのかと思うのです。



江戸時代に藩を越えて、
立場を越えて革命を起こそうとした人達も同じことを思ったのかな・・・
とか思ったのですが、
もう、何人だからとかかなり意味が無くなっているように思います。



日本人だから、日本を大事にしろと言われても、
身を削って日本のために奉仕しようと思える人がどれだけいるのでしょう。
それよりは、アメリカ人だろうが、ジンバブエ人だろうが、
それが仲間であれば繋がりを大事にしたい、
そういう思考になっていると思うのです。



それだけ日本は肥大化した際に既得権益を生み出し、
利害関係が国民1人1人で相当に違うようになってしまったのだと思います。



僕は、日本の文化が大好きだし、
本当に産まれてよかったと感謝していますが、
今の日本に未練が無いというのは事実。



僕はただ単に他人に期待することをしないから、
自分が決定権を持てなかった決定事項に対しての文句が出ません。
逆に、自分が決定の中でどう立ち振る舞い、
自分の理想状態を達成するためにはどうすればいいのかを考え行動することに
100%の時間を注いでいます。


そしてその立ち振る舞いが、自分が生きる日本を、
これから産まれる子どもたちが「生まれてきてよかった」と
言えるような国にする一助になれればいいなと思うのです。
それは、最終的には、決定権を持つ信頼やパワーを持つことと同義だと今の僕は思っています。




国家ってずーっとバラバラなんだろうかね。
歴史を学びたいなと久々にまた勉強熱がふつふつ出てきています。