楽しく自由に♡
こころを開放して幸せに生きる♡
 
洋服おバカのあきよです。

 

自由に、わたしらしく 乙女のトキメキ
心から満たされて、豊かな人生と  
なりたい自分を手に入れる ラブラブ

はじめましての方はこちらから
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昨日は、わたしを心配してくれた母と
モーニングへ行ってきた。
 
 
 
徐々に自分の中で解決策を出せて、
心も落ち着いてきた。
 
 
 
母は、前日荒れていたわたしを見て、
こころがのんびりとできるようにと、
明日は、コーヒーでも飲みにいかない?
と誘ってくれた。
 
 
 
わたしを心配して安心できる空間へ
行こうと誘ってくれているのがわかって
すごく有難く、幸せだと思った。
 
 
 
モーニング中に自分の心に正直に生きる
ことが、いまの課題だと思うし、
いま、正直になったらどういう行動をしたいか
なにを望んでいるかを母に話していた。
 
 
 
 
どうして、わたしが自分の気持ちよりも
相手の気持ちを優先することを選択するように
なったのか。
そんな話もしていた。
 
 
 
 
わたしは、自分のことをつねに、
「どうせわたしなんて」
「わたしなんて価値がない」
「わたしなんて生きている資格がない」
と、思っていたことを話した。
 
 
 
子供の頃にさかのぼる。
母の知り合いに会った時、
「お宅の娘さんはきれいですね」
そう言われると、
必ず母は、
「そんなことないです。
   全然きれいじゃありません」
 
そう答えていた。
 
 
それを聞く度に、
「あー、わたしはきれいではない」
それが観念としてわたしに入ってきた。
 
 
 
でも、わたしの授業参観に来た母は、
わたしの友達はみな、
「あなたのお母さんはきれいだね」
そう言う。
 
 
 
そして、妹も同じようにきれいだね、
と言われていた。
 
 
 
つまり、母と妹はきれいだけど、
わたしはきれいではない。
ブス、醜い。
そのように頭で変換されていった。
 
 
 
だから、どんなに可愛い服を買っても、
醜いわたしなんかが着たら、服がかわいそう。
服は可愛いのに着てる人はブス。
そう思って、買った服も着れなかった。
ブラブラと値札が付いたままだったのは、
そういう理由だった。
 
 
 
あと、お友達が家に遊びに来たとき、
わたしの友達に挨拶をするとき、
母は
「出来の悪い子と遊んでくれてありがとう」
と挨拶をしていた。
ああ、わたしは出来が悪いのか。
そう思っていた。
 
 
 
なにをしても、なにを頑張っても、
自尊心もなく、気づかない意識下で、
出来が悪い、何も出来ない、どうせダメだ、
なんの取り柄もないetc.
 
 
 
そう思ってたことを母に話した。
 
 
 
母は、
それは悪いことをしたね、
と言ってくれた。
 
 
 
本心は全く違ったと。
きれいと言われることに対しては、
天狗にならないように、戒めの意を込めていたと。
出来が悪いと言ったのも謙遜の意味だったと。
 
 
 
今ならわかる。
母が持った観念で、子供の未来を良くしようと
そう言ったこと。
 
 
 
ただ、子供のわたしは言われたとおりに
わたしが思い込み、言われたとおりの
人になっただけ。
 
 
 
そこは、気がづいて自分で直してるから
大丈夫だよ、と母と話した。
 
 
 
母もまた、この面倒な考え方をする娘は、
まさか自分が言った何気ない言葉に傷ついて
大人になったとも思っていなかった。
 
 
 
それは悪かったね
 
 
 
この言葉でわたしは救われた。
 
 
 
いま、わたしは自分を大切にすることだけを
毎瞬、毎瞬、意図してしている。
 
 
 
わたしの意思決定はわたしがする。
 
 
 
どうなりたいかも、わたしが決める。
 
 
 
ひとの感情や概念や言葉を、わたしの中に
入れない。
 
 
 
あなたはそうなのね。
 
わたしは違う。
 
 
 
わたしの存在したい世界、
わたしの感じたい世界、
それは、わたしが決める。
 
 
 
ここ最近の、モヤモヤは解決した。
 
 
 
全て、わたし次第。
 
 
 
 
 

ニット:グレースコンチネンタル
スカート:ROPE
スニーカー:ASH
 
 
 
 
 
 
 
 
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