シヴィルが亡くなり、なつが亡くなり…。

長年一緒に生活をしていると、正直「なんでこんなに朝早くに起こすのよ」とか「なんでこんな夜中に粗相をするのよ」とか思う日もありました。

でもやはり亡くなってしまうと、朝早くに起こしてもいいから、どこで粗相をしてもいいから、何をしても怒らないから ただ側にいてちょうだい‼️
そう思いました。

私の父も高齢になり会話はなかなか成立しませんし、あんなに大好きだった音楽も今は聞かせると「うるさいから切って」と言うようになりました。
坂本龍一さんが亡くなる直前「音楽を聴く、音楽を受け取るのはある程度パワーがいる。僕にはもうそのパワーがなくなった。」とのことで、川のせせらぎや風の音、小鳥の鳴き声…そのような音だけをずっとYouTubeで流していたそうです。

父もそのような状態になってきたのかしら…。

認知もあり、全介助で要介護5の認定です。
ついに来月から施設に預けることにいたしました。
もう少し父がしっかりしていた時に「最後は家で死にたい」とずいぶん言っていたのですが、このままでは介護をしている母が倒れてしまう。

母は今年83歳になり目がほとんど見えません。
老々介護も良いところで、身長が148cmしかないのに5年で7Kgも痩せて小さく小さくなりました。

私は小さい頃からずいぶんパパっ子でして…。
小学2年生の時全部ひらがなで「パパのめんどうはわたしがさいごまでみます」と書いて、キティーちゃんのハンコまで押して父に渡したことがあります。
そしてそのメモ用紙を父は大事に取っていて、数年前に見つけた時は破って捨てました笑笑笑 
捨てましたが、実際には「面倒を見て」います真顔

父を施設に預けることに関しては、ずいぶん前からケアマネージャーさん達と話しておりましたが、母が「もう少し頑張る」「もう少し頑張る」と言っていたのですが、昨年あたりからついにそれを言わなくなりました。

認知症があるとは言え母と私の事はわかりますし、私が行くととても喜びます。
名前は分かりませんが、父が小さい頃から呼んでいた私の愛称でずっと今でも呼んでくれる…だからちゃんとわかっています。
施設に預けてしまうと自由に会うこともできませんし、自宅にいる時よりも寝たきりになってしまうでしょうから、きっと私や母のこともわからなくなってしまう…。
体が動かなくなるのは仕方がないけれど、父が母や私を見ても誰かわからない…それが1番怖いのです。悲しいのです。

先日 父の状態でいろいろなことがあり、もう一度ケアマネジャーさんや看護師さんとお話しをして「奥様がそろそろ限界ではないですか?施設に預けることを考えなくては…」と言われました。

私が「母が1人になる準備をしたほうが良いと思うので、父に犠牲になって施設に入ってもらうようにいたします」と話しましたら、ケアマネさんと看護師さんががものすごく「なるほど」とおっしゃってくださいました。

私の母は小さい頃から大家族で常に周りに人がいる状態で生きてきました。
父が亡くなって急に1人になるよりは、まだ父が生きているけれど一人暮らしを始める…そのワンクッションがある方が良いかなと思いました。

泣きながら話し合いをしました…。

他人から見れば90も過ぎたおじいさんになんで?と思うかもしれませんが、90だから良いわけでも100だから良いわけでもありません。
長くいればいただけ思い出は増えます。
90を過ぎたおじいさんだから充分だとも思いますけれど、なかなか決心はつかないものです。

ペットでも人間でも必ず「その人・その動物」は「誰かの大切な誰か」なのです。
今これを書きながらでも涙が出ます。
確実にお別れの時が迫っています。

どんなに自分が苦手だと思っている人でも、必ずその人だって「誰かの大切な人」なのです。
自分の大切な人を粗末に扱われたら嫌だと思います。
そんな当たり前の事を時に大人でも忘れてしまうのです。

どうか人を粗末に扱わず、みんなが大切な人であることを忘れないでください。

看護師さんに緊急でいらして頂きました。