「良い事も悪い事も全て学び」と捉える事が出来るかは大切ではないかと思います。

以前記事にしましたが、スポーツ選手の方が
「嫌いなことやイヤな事をするからこそ、好きなことや楽しいことをやった時に「俺はやっぱりこれが好きだな」「断然これをやっている時が楽しいなぁ」と思うことができる。好きなことや楽しいことしかしないと、それが日常になって楽しかったり好きだったり嬉しかったり感じる事ができなくなる。」
このように話しておられました。

これと同じように「悪いことが起こるからこそ、良い出来事に感謝ができる」のではないかと思います。

私は生徒たちに「悲しいこと、辛いこと、苦しいことがあった時ほど嫌だけれどしっかり覚えておきなさい。そうしたら、次にまた辛いことが起こった時「あの時どうやって乗り越えたんだっけ?」と役に立つことがあるから。役に立てなきゃいけないよね。それを教訓に二度と同じ間違いをしないとか、それを役立てて乗り越えるとか…意味のあるものにしないと、せっかく嫌な思いをした甲斐がありませんよ。」
このような話しをいたします。

マンツーマンの声楽レッスンの際、私は声楽以外の話しもいたします。
その時にご家庭や学校でも言われたことがないような内容、自分が気づきもしなかったこと、見てもいなかったこと、考えもしなかったこと、思いつきもしなかった事がきっとあるでしょう。

中高生はまだまだ自分自身の言動で、どれが本当に正しくて、どれがお相手に失礼に当たるかがわかっていない人も多いです。

そのような中で様々と話しをして自分の意見も伝えて、その知恵や知識を是非宝塚受験の三次試験で発揮してほしいと思っています。

今まで接したことがない人と接してみたり、自分の家庭と全く違うタイプのお友達を持ってみたり、新しい大人の人に出会ってみたりするのは大きな学びとなるはずです。
そのせっかくの機会を素通りすることなく、しっかり受け止めて向き合って考えて 知性と教養を身に付け三次試験に臨んでほしいです。

声楽の世界では
「声は品格・言葉は人格・話し方は知性を表す」と申します。


そういえば昨日珍しく夕方の満員バスに乗りました。

とても美しい女子高生が座っていて、目の前に男性が立つと席を譲ろうとしましたが「大丈夫です」と言われていました。
次々とバス停に停まるたびに譲ったほうがいいかな?と常に気遣い何度も腰を浮かせたり座ったりを繰り返していました。
場合によっては譲ることが失礼に当たることもあるので本当に難しいと思いますが、その美しい女子高生がその子なりに一生懸命気遣いをしている事が目に見えてわかり、いじらしく微笑ましかったです。

美しい人は心まで美しいのかな…そんなふうに思いました。

その満員バスで途中小さな男の子がお母様と乗ってきました。
みんな立っている中 大きな声でずっと「座りたい」「座りたい」を連発していました。
その女子高生はもちろん、見かねた別の方も席を譲ろうとしましたが、お母様が「二駅でおりますから、、、」と断っておられました。
その男の子は降りるまでずっと「座りたい」と大きな声で言っていました。

そのような時にどう対処するのがいちばん良いのでしょうか…。
そのお母様は「(その男の子が持っている)ぬいぐるみを座らせたいだけでしょう。だめだよ。」と言っていました。

場合によっては「たくさんお客さんが乗っていてみんな立っているでしょう。あなたも我慢しなきゃだめよ。」みたいに「他人」を意識させることも必要かもしれません。
バスに乗る前に「きっとたくさんお客さんが乗っているから、座りたいとか わがままを言ってはダメよ」と事前に言って聞かせることが必要かもしれません。

このような場合は母親も「学び」になるでしょうね。
バスは満員でしたが静かだったので、そのお母様がどのように答えるかみんなじっと聞いている…そんな感じでした。

そんな時にあまりトンチンカンなことを言っては恥ずかしいですものね。
そこに気づくことができるお母様であるのかどうかも…。

ちょっとバスに乗っただけでも、様々考えさせられます。
ひとつの答えが出ないことを考え続けることが何よりも大切 と、改めて考えてしまいました。