「昭和の根性論は古くて受け入れられない」

でしょうな…凝視

私も根性とか気合いとかはあまり持ち合わせておりません。
だからこそ高校2年生から急に始めたバレエ、ジャズダンス、声楽も頭で理解しようとしていた部分が大いにあります。

先日、私のトレーナーさんがモニターを見ていて
「今度このモニターを使って、この部分をこうしたいのであればこういう理由があるから、このトレーニングをしなくてはならない。みたいな理屈をちゃんとわかってもらう講習会をするから、今モニターチェックしています」と…。

なるほど…。
そうなんだよな。これだわ。と思いました。

昭和の時代は理屈、理由、理論みたいなものを説明することなく「ウサギ跳び100回しろ」とか「縄跳び300回飛べ」とか言われていたのだと思います。

でもここで「こういう理由があるから、ウサギ跳びを100回しなくてはいけないんだ」みたいに説明をされたらどうでしょうか…。

私は割とそれをずっとやってきたと思っています。

それこそ「縄跳びを続けて100回飛ぶのって大変だよね。それは人間が同じことをやり続ける事がすごく大変で難しいから。もし同じことを続けることが簡単であれば「継続は力なり」なんて言葉は生まれないだろうし、「私縄跳び100回飛べたよ」と自慢したり、ラリーが続くことに驚かれたりする事は無いよね。
ダンスの場合、一定のリズムを取り続ける事は必要だけれどすごく難しいの。だからぜひ練習してほしい。おうちで練習するときにレッスンでしているリズム取りの練習をしていても合っているのか間違っているのかだんだんわからなくなるかもしれない。EXILEでも星野源でも何でもいいから、音楽をかけて、それに合わせて縄跳びを飛んでごらん。一定のリズムで飛べない場合、縄が引っかかるからわかるよね。多分縄跳びを100回飛ぶのって順調に行ったら2分ぐらいなんじゃないかな。でも音楽に乗せてやっていると4分ぐらいすぐ経つよ。」

このように話すと音楽に合わせて縄跳びをやり結果縄跳びを400回500回飛ぶことになります。
リズム感を養えるだけでなく、体力もついてダイエットもできるかもしれません。

このようにきちんと理由と理屈を説明してあげると「じゃあやらなきゃね」となります。
これまで生徒たちを見てきて「じゃあやらなきゃね」と理解、納得はするのに実際にはやらなかった子たちは結果が出ないので、自分自身で「ここまで言われて自分で納得もしているのにやらないなんて、自分はどれほど意志が弱いんだ」と思い知らされることになります。

ここまで説明してもらってもやらない&できない…。
もちろん「納得が行くからしっかりやる」子だっているわけです。

そうなってくるとどんどん差がつきます。
結果なんとなく嫌になって辞めてしまう=「根性がなかった」 みたいな…。

親子の会話が少ない場合「先生に縄跳び300回しろって言われた」ここだけを言って、親御さんも「まぁなんで?」と聞くことなく会話が終了すると「先生って鬼だわね」みたいになるのかな…と思いました。

なので、私はよく生徒に「今日私が説明したことをちゃんと親御さんにも話してごらん。そうしたら誤解も生まれないだろうし、親御さんにちゃんと説明できるという事は、あなた自身がきちんと理解ができているかの確認にもなるからね。」と話すことがあります。

きちんと私が説明したのに「縄跳びはエアーでやりました」などと言う人は私の説明・リズム取りの意味を理解できていないので話しになりません。

やることが同じでも、意味もわからずやらされるのと意味・理由・理屈がちゃんとわかって納得してやるのとではやる時の気持ちが全然違うと思います。

最近はスポーツの世界も根性よりは「分析」などに重きを置いている監督も多いようです。
走り高跳びやゴルフなども物理を用いて良い結果を導き出す…みたいな。

これから上に立つ人たちは、どれほど下の人たちを納得させる事が出来るかかもしれません。
上に立つ人たちが賢く、語彙力や説明する能力をしっかり持たなくてはならないということでしょう。