「鬼👹の喜多」
私は「洗礼」を「絶対に受けるまい真顔(怒られるのキライ)と、ひたすら「喜多先生はこうして欲しいに違いない!」と妄想してやっておりました。

私が下級生の頃は、まだ灰皿も飛んできましたし、ドラムのスティックでタイツだけの太ももの裏を叩かれることもありました。
一番先生が怒った場合は、シンバルごと飛んできました。(リュウちゃんの頃にはもう飛んでこなかったのか…うーん
今だったら絶対にありえないことです。

その「あり得ない」に時代が変わりつつある中、喜多先生が退団されました。
その際 全員にくださったスカーフを今でも持っております。








退団された喜多先生ですが、お住まいは宝塚でしたので偶然道ですれ違うことがありました。

すると「お、なっちゃんもこの近所なのか?」と本当に普通の優しいおじいちゃんという感じで話しかけてくださったことを今でも覚えております。


「鬼の喜多」の目にも涙。

先生は嬉しい時は精一杯喜び、全身で喜びを表現し、悔しい事は心から悔しがって怒っておられました。

その先生のあまりにも素直で純粋な心の在り方に、私達はうらやましいような…魅了されている部分があったのかもしれません。


懐かしいな…。



よいお話し照れ記事をお借りします。