信長さんが謙信さんにプレゼントした狩野永徳の「上杉本洛中洛外図屏風」はあまりに有名で、歴史好きの方ならご存じだと思います。

 その陰に隠れて見落とされているのが一緒に贈られていた「源氏物語屏風」です。

現存は確認されていませんが上杉家の記録にはあり、現在宮内庁が所蔵している八条宮家がかつて所蔵していた「源氏物語図屏風」がこれに該当するのではないかと言われています。

 但し、信長さんが『源氏』を読んだかどうかは不明です。

 

 さて、秀吉さんですが、『源氏』への関心が強く、源氏物語入門書みたいな冊子を書写していたのです。その冊子は近衛家の息女が秀吉さんの正妻・おねさんの侍女に贈ったものだそうで、秀吉さんはそれを筆写したみたいです。頑張るねぇ。

 もともと貧しく低い身分の秀吉さんですから、宮廷文化や貴族の暮らしに憧れが強かったのでしょう。

 近衛前久(このえさきひさ)と縁を結び、関白から太政大臣に昇進した秀吉さんですからね。勿論、莫大なおカネを支払いましたが・・・。

 

 お次は家康さん。こちらも関心は秀吉さんより強く、古典学者から『源氏』の講義を4回も受講していて、写本も集めていました。勉強熱心な家康さん。(大好きです💕)

 それは徳川美術館敷地内にある蓬佐文庫に収められています。「尾州家河内本源氏物語」全巻揃いです。凄いですね。

徳川美術館には「源氏物語絵巻」が所蔵されていますから、源氏関係のコレクションは他の追随を許しませんね。

 家康さんは源氏の出であり、同じ源氏の鎌倉の将軍と幕府の正史である『吾妻鑑』を愛読していたそうですから、『源氏』に親しみを覚えたのでしょう。

 

 以上、三傑さんに限って述べましたが、細川さん始め『源氏』に関心を寄せる、あるいは学ぶ戦国大名は多かったのです。

 それというのも、応仁の乱で京都から逃れた貴族が経済力のある戦国大名を頼って、食客になっていた時に講義したからなんですね。

 戦国大名たちは連歌を嗜み、それゆえ短歌の知識、とりわけ『古今集』を学ぶと必然的に『源氏』に行き着くのです。

 

 『源氏』に描写されている宮廷文化や有職故実(ゆうそくこじつ)といった風習や慣例は朝廷に食い込むのに役立ちますからね。つまり、政治的な手段として『源氏』は必要だったのです。