東北の某県で大学生がアパートで刺殺された事件の犯人は、小・中学時代の同級生だった。殺害動機は嫉妬だという。被害者の大学生活が自分より上手くいっていることや、弓道の成績が自分より優れていることが悔しかったそうだ。

 自分より優れている人は、それなりに努力しているのである。陳腐な喩えだが、白鳥が水面を優雅に泳いでいるのは、沈まないように水面下で両足を速く動かして水をかいているからである。表面の姿だけみて、隠れた部分を観ようとしない、あるいは想像もしないのは脳細胞が単純なのである。

 大学は広い視野に立った勉強で自己形成する所である。他人を嫉妬している暇なんか無い筈だ。どうして自分の興味あることや勉学を突き詰めようとしなかったのだろうか。たとえ、弓道の成績が相手より奮わなかったとしても、相手は自分より努力した時間が長いのだと思えなかったのだろうか。こんな単純で幼稚な動機で殺害されたのでは死んでも死に切れない。ご遺族の悔しさはいかばかりかと思いを馳せる。

 東大卒の某男性作家が、大学における文学の授業が削減や廃止になっているところがあり、これでは相手の心を深く考える、思いやる心が育たない旨をぼやいていた。文学作品に触れれば、自分がもし主人公だったらどうするだろうか、あるいは相手だったらどういう行動をとるだろうかという想像力や理解力を養成できると思う。戦闘的・攻撃的なアニメやゲームばかりで精神が汚染されているのかもしれない。

 また、某国立大の名誉教授(70歳)が浮気をしたという理由で60歳代の妻に殴り殺された事件にも唖然とした。殺害理由は、嫌いな女と浮気したからだそうだ。嫉妬から殺害と言う件では同じでも、70歳にもなる夫をマグカップで殴打したという激高が解らない。シニア世代ならそれなりの冷静さがあってしかるべきだと思うのだが。そりゃ、浮気した夫は悪いけれど、浮気される自分側にも原因があるのではないかと、その妻は考えなかったのだろうか。たぶん、普段の鬱憤が爆発したのだろうけれど、シニア世代の夫婦はもう先が短いのだから解決の糸口を模索する努力をすべきではなかったのだろうか。他人の事情、その夫婦のことはその夫婦しか解らないけれど、嫉妬から殺害なんて自分が損なだけである。こういう時こそ、自分を磨きに磨いて倍返し、10倍返しして自分が上の立場に上ればいいのだ。

 最近の事件をみると、冷静さと努力に欠け、自分を知ろうともせず一方的に相手を攻撃する人が多いように思う。自分を冷静に客観的にみる力、それは学問によって養成される。いい会社に入社するためにいい大学に入る、そのために勉強するのではない。勉強は人間になるためにするもの。その勉強をはき違えている現代人はどこかおかしい。