豊竹咲寿太夫
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令和6年4月公演チラシより
市若初陣の段 端場
夜の目も合わぬ腰元仲間一つ所に集まりて
「何と思やる皆の衆、荏柄の妻子を受け取らんと数多の軍勢向かうといふぞや。日頃習ひし軍法の奥の手、命限りに逃げ退かうではあるまいか。名ある武士と引つ組もより、可愛い男と引つ組んで死ぬる戦がしてみたい」
とそゝり出せば
「ヲヽ嗜みや、敵に後ろを見せるめは女の身では大きな無作法。ことに味方に板額女、子まで産んだ大根強、五万や七万のお敵は明き家で棒、頤で蠅。つひ拝ます」
としどもなき
話半ばへ荏柄が女房綱手といへど便りなき、落ち目になって気も僻み
「コレいづれも、板額女ばかりを力にし戦せうとは危ない思案。めい〳〵命を的に懸け、討死せうとは思はずか、笑止な衆」
と蔑したる
詞憎しと板額女、物見を出でて
「ホヽ勇ましき綱手殿のお詞、左程のそもじが何ゆゑに子まで引き連れ尼君を頼んでさもしい命乞ひ。実朝公は親御へ対しお違背なされ兼ね女房は兎も角も、一子公暁は姫を殺した者の倅、首討つてお渡しとの仰せ、たつてとある、ならぬとある。仰せ合わせでこの騒動、誠口ほど健気なら公暁を刺し殺し、その身も自害したがよい、兎角命は惜しいもの」
と恥しめられて
「イヤコレ死ねるを厭はぬ証拠には幾度かお暇を申し上げてもお上には我が娘を殺したる荏柄こそ咎人なれ。そち親子は知らぬこと、匿ひしには思案ありと奥深い御一言。死ぬるにも死なれず」
と言はせも立てず
「その言ひ訳暗い〳〵。今にも討手攻めかけなば奥深い御思案があるといふて事済むか」
「ハテその時は覚悟の前」
「サアその覚悟を今極め、一子公暁が首討つて御親子の仲丸うしや」
「イヤそれは」
「それはとは卑怯者」
と角目かなめの攻め合ひが
漏れてや奥よりお局駆け出で
「尼君様の上意なり、板額様は表を固め、夜回り厳しく言ひつけ給へ。綱手様はまづ奥へ」
と言ふを幸ひ良き折と、皆引き連れて入る影を本意なげに打ち眺め『あんまり上が慈悲過ぎて、天下の騒ぎとなることよ』と一人恨みてゐるところに
間近く聞こゆる人馬の音、列を構わぬ軍勢の、鉦も太鼓も一時に、鯨波をどつとぞ上げにける
『すはや夜討ち』と板額女、物見に上がるそのうちに
松明提灯星の如く先に進むは佐々木の末子綱若丸、土肥実千代。二陣は千葉資若胤若、蜻蛉頭も打ち交じり
十一以下の子供の声々
「荏柄が一子公暁が首取りに来た、こゝ明けよ、明けぬは卑怯弱者よ、こちらが怖いか、えい〳〵わあ、笑へ〳〵」
と罵つたり
板額自然と心付き
「天下の法と御親子の礼儀のほどを思し召し子供を以て敵討ちか、げに尤も」
と感心し、『定めて我が子の市若も人数に加わりゐるべし』と明かりにすかし差し覗き、『あれかこれか』と見廻せど、似た姿なき不思議さに物見より声を掛け
「コレ〳〵子供衆もの問はう、浅利与市の一子市若といふ子、その中に居るならばちよつと呼び出してくだされ」
と頼めば先なる佐々木綱若
「その市若はおれと友達、来しなに誘いにやつたれど、嫌というて見えなんだ」
と言ふに側から口々に
「おいらも誘ひに寄つたれど戦は怖いものぢやゆゑ、後から行かうの留守ぢやのと尻込みしてえおぢやらぬ。あんな腰抜け今からは友達仲間へ入れまい」
と誇る我が子の噂をば
聞く親の身は迫り、しばし詞もなかりしが
「イヤナウ子供衆、総体夜討ちといふものは人の寝込みへ押し寄せて騙して討つゆゑ卑怯戦、それを知つて市若が来ぬであろうと紛らかし、其方も手柄したくば明日夜が明け、いつもの飯喰ふ時分にござれ。その時小母が取り持つて手柄さしてやろほどに、今夜は去んで寝ねしや」
と我が子の来ぬが不思議さに、当てなきことを引き延ばす、思いは親の因果かや
寄せ手は何の差別なく
「夜する戦が卑怯なら明日夜が明けるとそのまゝ来う、その時手柄さしてや」
と先が頼めば
その次が
「小母様手柄をわしにもや」
「イヤおれにも」
と段々に競り合う頼み頑是なく、鉦や太鼓を叩きたてひとまづ陣を引きにける
板額跡を打ち眺め
「小母でなき身を小母にして手柄頼むに市若は何として来ぬことぞ。たとへ我が子は臆病でも、父が励ましおこすはず。持病の虫でも起こりしか。母のない子と甘やかし、養ひ過ごして病は出ぬか。心得なや気遣ひ」
と顔見ぬうちの物思ひ、案じに障子押し立てゝ暫く
時を移すうち
豊竹咲寿太夫
人形浄瑠璃文楽
太夫
国立文楽劇場・国立劇場での隔月2週間から3週間の文楽公演に主に出演。
モデルとしてブランドKUDENのグローバルアンバサダーをつとめる。
その他、公演・イラスト(書籍掲載)・筆文字(書籍タイトルなど)・雑誌ゲスト・エッセイ連載など
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