妹背山婦女庭訓、本編後のエピローグはこんなのだった!【あらすじ】 | さきじゅびより【文楽の太夫(声優)が文楽や歌舞伎、上方の事を解説します】by 豊竹咲寿太夫

 妹背山婦女庭訓

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妹背山婦女庭訓、クライマックスは金殿の段です。


金殿の段では、町娘のお三輪が犠牲となって、超人の蘇我入鹿を倒す秘術の笛を完成させたのでした。


通し公演以外で上演する時の多くはこの金殿の段で終了します。



金殿の段の後には「入鹿誅伐の段」があり、この場面で「姫戻りの段」の時に橘姫と計画をたてた淡海(求馬)が蘇我入鹿を急襲します。

入鹿の御殿があったとされるのは、奈良県の三笠山(若草山)。

このあたりは春日大社をはじめ、東大寺など大きな寺社仏閣が集まっています。

まさしく神が集う場所で、悪魔のように超人的な入鹿を打倒しようとするのです。

藤原鎌足が神鏡を使うと入鹿はたじろぎ、淡海によって征伐されました。




現在上演されている場面ではこの入鹿誅伐の段が最終話となっていますが、実はこの後にエピローグが存在します。


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志賀の大内山と題されたエピローグは、奈良の平城京が置かれる前に存在した大津の都でのエピソードです。



鎌足が家臣たちと淡海と橘姫の前で、彼らに今回のことの褒美を述べるのでした。


橘姫は豊代姫(とよしろひめ)と名前を改めて、淡海の妻となることになりました。


大判事清澄、定高、金輪五郎をはじめとした各々も大禄をいただいたのでした。



やがて金輪五郎が残党を捕まえて戻ってきました。

亡くなった清舟と雛鳥の花の塚には供養が絶えませんでした。




伊勢神宮、春日大社、石清水八幡の三社の永遠に続く恵みを讃えて、妹背山婦女庭訓の全ての物語は幕を閉じるのです。


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とよたけ・さきじゅだゆう:人形浄瑠璃文楽
 太夫
国立文楽劇場・国立劇場での隔月2週間から3週間の文楽
公演に主に出演。


その他、公演・イラスト(書籍掲載)・筆文字(書籍タイトルなど)・雑誌ゲスト・エッセイ連載など
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豊竹咲寿太夫
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