【床本】田植の段「碁太平記白石噺」[文楽の台本] | さきじゅびより【文楽の太夫(声優)が文楽や歌舞伎、上方の事を解説します】by 豊竹咲寿太夫

バイセル

 

 

 

田植の段

 

 

 

 

〽︎奥州街道に本宮なくば何を頼りに奥通ひ、それが旅路の憂さはらし

 

唄う皐月の早苗歌、歌や連歌の雲の上、供御といふから下々の盛り切り物相二合半、内裏女﨟も食はにゃ縦横十文盛り、一膳飯の一粒も皆百姓の汗雫、艱難辛苦の種ぞとは誰白坂の御領分、植え付くる田にずらりと並ぶ菅笠一文字

 

「おくろやい、もう昼餉時じゃあるまいかい」

「ヲヽ今朝から精出しただけ昨日よりは捗がいた。植え付けては跡へ寄り〳〵、それでも腹もアヽ跡へ寄った、武兵衛も藤兵衛もお松も煙草にせうじゃあるまいか」

 

「ヲヽよかろ〳〵」

 

とつき切火縄、樽に詰めたる煎じ茶も、畔を床几の一休み

 

「何とまたこの与茂作は何しているぞいの、こちらは昨日今日に植え付け仕舞ひに三分一も捗らぬ」

 

「さればいの、うちのかか衆がこの春からの患ひアノ和女も心遣いであろぞいの」

 

「サそれでも植え付け時に遅れると秋入の時分まで草取り肥やしに大抵や大方骨が折れる事じゃないの」

 

「イヽヤイノ何といふてもあの与茂作のかか衆は庄屋殿の妹、年貢の時分はどうなりとなろかい」

 

「イヤそれでも堅い気の庄屋殿、真っ直ぐなお人じゃ」

 

と噂半ば

一村の支配を庄屋七郎兵衛

 

「ホヽ皆の衆、精が出るよ、随分と働かしゃれ。よその人のためじゃない、いまのしんどが秋は報ふてくるわいの、したがもう昼餉時、また休んで働かしゃれ」

 

と下を労はる慈悲詞

 

「ハア結構なお庄屋さま、そのお前のお心をお代官の台七面にちっと煎じて呑ませたい」

 

「アヽコレ〳〵仮初にも上の噂、ひょっと誰が聞くまいものでもない、慎ましゃれ〳〵、サア〳〵俺も帰り道、道々話して帰ろじゃあるまいか」

 

「ハイ〳〵今わたしどもも昼休みに帰るところ。サアご一緒に」

 

と気散じは茶碗もそこに沖の石、乾く間もなき泥足を、引き連れてこそ立ち帰る。

 

館の騒動幸せと、云ひぬけながら己が身の志賀は隠れぬ台七郎、家来引き連れ歓待面

 

「イヤ何丹介、其方も知る通り昨日館の大騒動、毒薬秘方の一巻と天眼鏡は身が手に入る、これさへあれば人を懐ける術の第一、さりながら騒動の挙げ句何とやら心懸かり、一巻は懐中もなれどコレこの鏡は置き処に困る、上屋敷へ行き帰るまで隠し処はあるまいか」

 

「何さ〳〵拙者めにお預け」

 

「アイヤ人手に置くも心障り、がそれはそうと弟台蔵、一昨日から行方知れず、貫平めに申し付けたが未だ何の沙汰もないか」

 

「ハア成程、貫平めも諸所方々台蔵様の御行方吟味には出しましたが、今に何の沙汰もござりませぬ」

 

「ハテ心得ぬ」

 

ととつおいつ思案時つく鐘の声

 

「ヤ南無三宝はや八つ時、御用の刻限延引は疑ひのもと、エヽこの鏡の置き処、ハテどうがな」

 

と屈託も凝って思案に辺り見廻し

 

「エイ暫しその間、人の心の付かぬ処」

 

と畔の間に鏡を埋め草引き覆ひ

 

「まづよし〳〵、丹介来たれ」

 

と何気なく、打ち連れ

 

 

 

バイセル

 

 

 

 

 

彼処へ急ぎ行く

 

 

こゝに城下の片在所、与茂作といふ律儀者、元は河内の武士の果て、女房の縁に撚り糸の細布衣陸奥のけふの仕事の肩弛く一荷に担ふ早苗より

 

まだ若草の小娘が甲斐性らしげに褄からげ、親の手助け正直の、頭に戴く昼餉物、土瓶片手に

 

「コレ父様、よその衆は植え付けも大方済み昼休みに行かしゃったが、此方は母様が寝てじゃゆえ何もかも遅うなった。さぞお前は気が急かう」

 

と云えば

 

ほろりと涙を零し

 

「ヲヽよう云ふたなう。今更云ふではなけれども俺は元は上方で刀も差いた者なれど、ふとした事で浪人し侍やめて物作り、如才はないと思ふても稼ぐに追ひ付く貧乏神、未進に追はれて八年後姉めは江戸へ勤め奉公、おのれやれ土に喰ひついても稼ぎ溜めて金調へ、姉めを取り返さうと思ふ内嬶は病みつく人手はなし、エヽ俺や無念なわい、口惜しいわい、蝶よ花よと楽しみは我ばかり、必ずきな〳〵思ふて患ふてくれなよ」

 

と打ち萎るれば

 

「コレ父様、わしと云ふても女の事、何処ぞから男の子貰ふてなりと早う楽して下され」

 

と真実親身のしほらしさ

 

「ヲヽ合点ぢゃ〳〵気遣いすな、とっと前侍の時、姉のおきのが生まれると直ぐに朋輩衆の子と許嫁して置いたが、これもその後便りも聞かず、その姉と云へば吉原とやらに君傾城、とかく我が大きうなるのを、苗の伸びるように待ちかねる、また庄屋殿は嬶が兄なりゃ何やかやと気を付けてくれらるゝ、案じてくれな」

 

と云ひつつも落ちぶれし身の跡や先、思ひまわせば味気なく嘆く涙の玉苗や、植えぬ先より袖濡らす、浮世渡りぞ是非もなき

 

「アヽ愚痴な事云ふてつひ泣いてのけた程にの、何にも案じる事はない、そのやうに案じまわしはせぬものぢゃ、人間は老少不定、今患ふている嬶は長生きして、達者な俺が先へころりと死ぬまいものでもない、その時ゃわりゃどうするぞい」

 

「サアその時はわしゃ泣くわへ」

 

「ハヽヽヽヽエヽ子供と云ふものはナ、コリャヤイ泣いたとて喚いたとて死んだ者は帰らぬわい、いつ何時が知れぬで待った世の中じゃ」

 

と云ふも女房が患ひの十が九つあっちもの、今から云ふて覚悟さす心と見えて哀れなり。

 

与茂作は心付き

 

「ヤほんに思ひ出した、内に薬を煎じかけておいた、煎りつかぬ内われ大義ながら一走り一番煎じを嬶に呑まして来てくれぬか」

 

「イヽエ内には昨日泊めた旅のお侍様、それは〳〵気を付けて『内の事は構わずと田へ行って父様の手伝ひをせいてゝ』」

 

「ヲヽあの人も由ある浪人衆と見たが、さう〳〵他人に任せてもおかれぬ、つひ一走り行ってくれ」

 

と云ふに娘も

 

「アイそんなら必ずとば〳〵怪我せぬようにわしが来るのを待たんせや、どうやらわしは行きとむない」

 

「ハテうぢ〳〵と何云ふぞい、早う戻りゃ」

 

と親と子が、見送り見返る畔伝ひ、これぞこの世の別れとは、後にぞ思ひ知られける

 

「ソレいぢばたの久六が畔は滑るぞよ、ヨ、ハヽヽヽヽ、隠居の田へ廻って行けよ、利口な奴、ドリャあいつめが来ぬ内に植え付けて喜ばせう」

 

と踏ん込む畔にしっかりと足に触るは以前の鏡

 

「テモマア変わった物」

 

と打ち返し〳〵見るを

遠目に見つける台七、丹介引き連れ駆け来たり

 

「ヤアその鏡こっちへ渡せ、汝が持ってきた無用の物」

 

と取りにかゝれば

 

「イヤ申しお代官様、これは只今私が田から拾ひ出したこの鏡」

 

「ヤア百姓づれが持つものならず」

 

と引ったくれば

むしゃぶりつき

 

「此方の田から出た物はお代官でもさう無体にはなりますまい。ただしお前覚えがござりますか」

 

「ヤア面倒な土ほぜりめ」

 

と突き放せば

また取り付き

 

「ヘヽヽ滅多無性に欲しがらしゃるといい、隠した物にろくな事はない物じゃ、聞けば昨日殿様のお家に何やら揉め事があったげな、それを思へばこりゃコレ合点がいかぬ、此方から殿様へ持って出て伺います」

 

と云ふに

台七胸にぎっくりまた取りかゝるを

突き飛ばし

逃げ行く首筋引き戻す

放せやらじと競い合ふ、はずみ鏡は飛んで深田の中

 

「小言云はすな、ソレ丹介」

 

心得抜き打ち

ひらりとかわし、あしらふ後を

台七が手練れの早業、後袈裟

振り返って縋り付き

 

「エヽ非道な台七殿、コレ〳〵わしが死んではの、嬶が明日をも知れぬ大患ひ、スリャコレ娘一人が路頭に立ちますわいの〳〵、命は助けて下さりませ、娘やい、おのぶやい」

 

と喚くも昼中

人や聞くと主従寄って滅多斬り、倒るゝ上に乗っかゝり、ぐっと止めを四苦八苦、無残といふも余りあり

 

血糊押しぬぐい立ち上がる折から

 

何の気も付かず戻る娘が

 

「ヤア父様を誰が殺した、父様なう〳〵、コレ母様はあのやうに患うてなり、お前に別れてわしゃ何とせうぞいの、コリャマアどうせう、悲しや」

 

と足摺りしたるいぢらしさ、涙ながらに四方を見廻し

 

「ムヽさては傍にござる台七様、親の敵」

 

とありあふ早苗手早に取って打ち付け〳〵

 

「ヤレ人殺し、来て下され、在所の衆〳〵」

 

と呼びたける

声に駆け寄る一村在所

 

「ヤア与茂作を殺しゃったは台七様か、お代官でも滅多に人を殺してはすみますまい、この子の加勢は村中一統、サア元のようにして返しゃ」

 

「何で殺した、訳聞こう、どうぢゃい」

「どうぢゃい」

「どうぢゃい」

「どうぢゃい〳〵〳〵〳〵」

 

と田舎育ちの高調子

聞き付け駆け寄る七郎兵衛、争う中へ割って入り

「マヽヽヽ村の衆、おれが来るからは悪うはせぬ、おれに任しゃ〳〵、ハテおれに任しゃい」

「庄屋殿、ええかい」

「ええわい」

「庄屋殿、ええかい」

「ええわい」

「庄屋殿、ええかい」

「ええわい」

「よきやええわい」

「イヤ申しお代官様には、エヽどういふ訳で与茂作をこのように惨たらしう御手打ちにはなされました、日頃から正直正統なあの男、無礼いたさうやうもない、様子によってこの庄屋も聞き捨てにはいたすまい、コリャきっと吟味を」

「ヤイ黙りをらう、与茂作とやらんが殺されたるその場所へ来かゝったそれがし、何ぢゃ身共が殺した、エヽそれには何ぞ証拠でもあるか、土ほぜりめが。またそれなる女郎め、親の敵何度と訳も言はず、苗を以て打ち付け、コリャ見よ、侍の顔に泥を塗ったる慮外者、真っ二つに打ち放す」

 

と反り打ちかかれば

留むる庄屋、娘を囲うて在所中

 

「ヤア何ぼうでも斬らしはせぬ」

「ヲヽそれ〳〵非道なことに人が斬れるか、斬ってみや」

「お代官でも怖うはない」

「さうぢゃ」

「さうぢゃ」

「さうぢゃ」

「さうぢゃ〳〵」

 

と口々に喚く声

 

「ヤレ村の衆喧しい、静かにものを言やいの。また台七様も台七様ぢゃわい。この子の慮外は僅かのこと、畢竟申さばコリャコレ幼少の頑是なしと申すもの。それにお手打ちなどとはちとお役柄に似合ひませぬ。与茂作が殺されていたところへ御出でなされましたが不幸せ、是非お前様もな、コレかゝり合ひと申すもの、この通り殿様へ村中一統訴えます。そう心得てござりませ」

 

と理屈親爺に言いこめられ、返答しかなのその折から

 

台七が家来貫平、息を切って駆け来たり

 

「お旦那これに、弟台蔵様、昨日より御行方詮議致すところ、隣村明神の森のうちにこの御首、御体は一町ばかり山道に捨て置いたをやう〳〵見当たり即ち持参」

 

と聞くよりびっくり

 

「ナニ。弟台蔵が隣村に殺されていたとな。チエヽしなしたり、何者の仕業ぞ」

 

と驚く中にもひと分別

 

「コレ見よ庄屋、百姓ども。身が弟一昨日より行方知れず、しかるに今聞く通り殺されたるも隣村、これを思えば人を殺めるあぶれ者この近辺を徘徊するに疑いない。スリャ与茂作を殺したも大方同じ奴と重わるゝ。見れば数カ所の刀傷、百姓づれが手際でない。浪人者など尾羽打ち枯らし暴れ歩くに違いない。何と与茂作は身が殺さぬといふことさ。これで疑い晴れたか」

 

と頓智の佞姦弁舌に

言い回されて百姓ども

さすがの庄屋も理の当然、詞の一理、思案のと胸

台七は仕済まし顔

 

「ナニ丹介、貫平やい、それ弟が死骸身が屋敷へ持ち帰れ、アヽ思いもよらぬ災難。七郎兵衛、身が心を察してくれやれ。サナニ与茂作とやらも不憫千万、娘が嘆き思いやる」

 

とこの場をくろめる間に合言葉、善と悪とは紛はねど暫しの曇り天道の鏡に心残れども、家来引き連れのさばり行く

 

あとは泣きいる娘のおのぶ

 

庄屋が指図に在所の者、辺りの戸板に与茂作が死骸を乗せてかき上ぐれば

 

まだ稚き子心に思ひ詰めたる孝行の念力通す大盤石、敵は誰とも白石や、石に立つ矢の例とて弓も引き方

在所中、田の面の蛙鳴き連れて我が家にこそは立ち帰る。

 

 

 



とよたけ・さきじゅだゆう:人形浄瑠璃文楽
 太夫
国立文楽劇場・国立劇場での隔月2週間から3週間の文楽
公演に主に出演。


その他、公演・イラスト(書籍掲載)・筆文字(書籍タイトルなど)・雑誌ゲスト・エッセイ連載など
オリジナルLINEスタンプ販売中

 

 

 


豊竹咲寿太夫
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