10分でわかる冥途の飛脚②
近松門左衛門作、「冥途の飛脚」
曽根崎心中や心中天網島とならんで、遊女との心中の芝居で有名な作品です。
宝塚にもなっていて「心中・恋の大和路」として上演されています。
そんな冥途の飛脚のあらすじ、後半です。

封印切
新町の梅川は、佐渡屋町の越後屋を忠兵衛との定宿としていました。
この日も島屋を抜け出してきて越後屋の二階で他の女郎たちと話していたのでした。
梅川は田舎の客が身請けをする話を無理強いされていて、腹立たしい思いをしていました。
あの客に身請けされるくらいなら死んでしまおうとすら思っています。
忠兵衛ときっちりと一緒になって、これまでの嫌な噂も流してしまいたいと涙を流しました。
ちょうど近くを通りかかったのは八右衛門でした。
越後屋に入ると、二階へ客がきたと連絡が入ります。
それが八右衛門だと知ると、梅川は八右衛門には会いたくないので自分が二階にいることは言わないでくれと言いました。
八右衛門は女郎たちが下りてくると「忠兵衛のことについて話しておかないといけない事がある」と彼女たちを傍へ寄せました。
さて、三百両を胸に忠兵衛は越後屋までやってきました。
入ろうと中を覗くと、八右衛門が上座に座ってなにやらひそひそと話しています。
忠兵衛は中に入らず、八右衛門の話を忍び聞くことにしました。
二階の梅川も心を澄まして、壁に耳をあてて様子をうかがっていました。
まさか二人が自分の話を聞いているとは知らない八右衛門。
忠兵衛がこれ以上身を滅ぼさないように、これまでの経緯を話し始めました。
身請けに必要なのは百六十両、そのうちの五十両は手付金として渡していましたが、その金は本来八右衛門に届くはずだった金。
そのために他の届け金にも齟齬が生じ始めて、どこかしこでも行き当たりばったりの嘘を繰り返していること。
梅川が廓を出るとなったらこれまで遊女をするために重ねた借金もあるだろうし、少なくとも二百五十両はいるだろうが、そんな大金をどうして手に入れることができるだろう。
さらに八右衛門は先程の五十両に見せかけた鬢水入れを見せて、こんな状態なのだ、と言いました。
「友達でこのような状態なのだから、これからどうなることか、あげくには首切りの刑になってしまうだろう。
あのように思慮分別をなくしてしまっては誰の言うことも聞かないだろうから、忠兵衛がここに来なくなるようこの噂を廓で広めてほしい。
梅川にもこのことを伝えて、島屋の客に身請けしてもらって、忠兵衛とは縁を切ってくれ。
心中するかそれとも盗みを働くか、ろくなことはしでかさないだろう。
愛おしければ、どうか廓へ寄せつけないようお願いします」
二階で聞いていた梅川は悲しい思いといとしい気持ち、自身の儚さが入り混じって胸が裂ける思いでした。
外でその様子を聞いていた忠兵衛は短気を抑えきれず、その場に飛び出しました。
懐の三百両に手をかけると「八右衛門!心配は無用だ。いま金を返す!」と封を解こうとしました。
八右衛門はそれを押しとどめて、「五十両が惜しいだけなら、先ほど母御の前であのようなことはしなかった。三百両はあるだろうその金もきっとどこかの金なのだろう。きちんと届けてこい」と叱りました。
しかし忠兵衛はもう聞く耳を持ちません。
「これはよその金なんかじゃない」と包みの封を切り、金をばらばらと出しました。
まずそこから五十両を掴むと八右衛門に「受け取れ」と投げつけました。
さすがの八右衛門も頭にきて「ちゃんと礼をいって渡せ」と投げ戻しました。
忠兵衛は「おまえに言う礼などない」とまた投げつけ、しまいには腕まくりをして掴み合いをはじめました。
梅川は二階から駆け降り、「八右衛門のいうことが道理だ」と忠兵衛をなだめようとしました。
「廓ではたとえ大金持ちでも金に困るのはよくあることでここでの金の恥は恥じゃない。けれど、人の金を使ってしまっては牢に繋がれてしまう。気持ちを落ち着けて、その金はきちんと届けてください。こんなことになったのも全部私が悪いの、私のせいだから、気持ちを落ち着けて」
しかしもはや忠兵衛は全てが上の空です。
この金は心配いらない、と言うと、さらに金をばらばらとばら撒きはじめました。
まず梅川の身請けの残り百十両、付けの借金四十五両、遣手に五両、揚代の二十両、ご祝儀に十両
「今晩のうちに梅川がここを出るようにしてくれ」と忠兵衛は言いました。
八右衛門は納得がいきませんが、五十両を懐に入れると、その場を去っていきました。
ここから身請けは本来なら手続きや暇乞いの作法など時間のかかること。
しかしあの金は堂島のお屋敷に持って行くはずの金。
ぐずぐずしていられるはずがありません。
忠兵衛は全てを梅川に打ち明けると一緒に高飛びをしてくれと泣きました。
梅川はわなわなと声も震え、涙声になりましたが、「二人でいっしょに死ぬことができれば本望」と言いました。
忠兵衛は、生きられるだけ生き、添うことができるだけ添おう、と言い、梅川も生きられるだけこの世で添おう、と言いました。
越後屋の人たちが梅川の身請けの段取りを整えて戻ってきたところに、二人は震える声で挨拶を交わすと、越後屋を出ていきました。
まずは大坂を離れなければなりません。
二人は忠兵衛の故郷である大和の新口村を目指して、おちていきました。

