心中天網島の道行の道のり
近松門左衛門作、心中天網島の最後の場面、心中に向かうところは道行と呼ばれます。
その道行の道のりを分かりやすくロードマップにしてみました。
ブログでは現在上演中の文章と照らし合わせてロードマップを作りました。
現在の道行の文章はカットされている所があり、原文を見るとより深い情景が浮かびます。
原文の道行の様子はnoteにUPしています。
こちらもご覧ください。
現在の北新地のあたりを出発し、天神橋を渡って東へ進みます。
そして最終的に大長寺にたどり着くのです。
現在、大長寺の場所は当時の場所からやや北へ移動しています。
蜆川という埋め立てられた川が北新地に流れていました。
その蜆川にかかる蜆橋を起点に二人の道のりは始まります。
十九と二十八年の今日の今宵を限りにてこの災難に大江橋
この災難にあう、とおおえばしを掛けています。
「あう」「おお」の読みは「おう」で共通です。
アレ見や難波小橋から舟入橋の浜伝い、これまで来れば来るほどは冥途の道が近づく
難波小橋を過ぎ、舟入橋を過ぎます。
進めば進むほど冥途の道が近づいてきます。
「もうこの道が冥途か」
と見交わす顔も見えぬほど、落つる涙に堀川の橋も水にや浸るらん。
顔が見えないほどに涙で目が霞んでいる描写です。
その涙は堀川の橋が水に浸ってしまうほど。
南へ渡る橋柱、数も限らぬ家々を如何に名付けて八軒屋、誰と伏見の下り舟
天神橋と天満橋の間は舟の発着場で八軒屋と呼ばれていました。
淀川は伏見と繋がっていて、京から下ってくる舟があります。
この世を捨てて行く身には聞くも恐ろし天満橋
天満橋の天満が「天魔」と聞こえることから、これから死のうとしている二人には聞くのも恐ろしい橋の名前に思えます。
〜アレ寺々の鐘の声。最期を急がんこなたへ」
と手に百八の玉の緒を涙の玉に繰りまぜて、南無網島の大長寺
薮の外面のいささ川、流れみなぎる樋の上を最期所と着きにける
そうして最期の場所に選んだのが網島という土地にある大長寺でした。
かなり詳細に道のりが文章の中に織り交ぜてあり、知って観劇していただくと二人の心情と情景がより堪能できると思います。