【床本】小鍛冶[文楽の台本] | さきじゅびより【文楽の太夫(声優)が文楽や歌舞伎、上方の事を解説します】by 豊竹咲寿太夫








■小鍛冶

 

 



2021年4月大阪公演コラボポスターより



「これは三条の小鍛冶宗近にて候ふ。

さてもこのたび大君より、御剣を打ちてたてまつれと、畏き宣旨を蒙りつゝ、かかる大事を仕らんには、われに劣らぬ相鎚の者ありてこそ、御剣も成就なすべけれ。

口惜しくもそれ程の者なしと、答へたてまつらんには、勅諚を背くの恐れ、いかにせん。

この上はわが氏の神、稲荷の神の神助を仰ぎ、頼む心に相鎚を求めんよりはほかになし。南無や氏神稲荷明神、わが身命に替ゆるとも、あはれ最勝の御剣を打出させ給び賜はれ」

と仰ぐ御山の初紅葉、赤き心に吹きかよふ、下向の道の夕嵐



行く手の方に老翁の、いとも気高き姿にて、忽然として現はれ給ひ、

「ノウノウそれなるは、三条の小鍛冶宗近にて御入り候ふか」

「不思議やな、なべてならざる御事の、わが名をさして宣ふは、いかなる人にてましますぞ」

「雲の上より御剣を打てとの仰せありしよなう」

「さればこそ、それにつけてもなほなほ不思議の御事かな。今うけたまはる勅命をはやくも知ろしめさるゝ事、返す返すも不審なれ」

「おろかや宗近。げにわれのみと知る事の、いつしか余所に隠れなき、雲井に輝よう御剣の光はなどか暗からん。

そもそも剣の始まりは、唐にては干将獏耶、わが朝にては十握の御剣の故事を、申すも畏き尊には、東夷を討たせ給ふとて、関の東にはるばると、御下向の道すがら、駿河の国の夷ども、御狩の御遊にこと寄せて、限り知られぬ萱原へ、尊を誘ひ申しける。

折から富士の山颪、つれて高なる攻め鼓、あなやと見る間に四方より、夷が放つ炎の勢ひ、尊を囲みて凄まじく、いとも危ふき御ありさま。その時尊は御剣を抜き、『すぐに火焔も立ち退け』と、辺り草を薙ぎ給へば、剣の精霊嵐となつて、敵の方へと吹き返す。猛火は天地に満ち満ちて、さしも数万の夷ども、朝日に霜と消えてんげり。

かの草薙の御剣に劣らぬばかり端相を、家に伝ふる宗近よ、とくとく帰りて壇を飾り、われを待ちなばその時に、通力にて身を変じ、力を添へん」

と夕雲の、行方も知らず失せにけり。

「アラありがたや尊やな。これぞひとへに氏神の擁護の功力」

と宗近が、心勇みて立ち帰る。

 



宗近装束改めて、設けの壇に上りつゝ、幣帛捧げ礼拝なし

「今大君の詔、御選みに預かること、これ私の功名ならず、ひとへに氏神稲荷の神、擁護の徳によつてなり。

さあらば十万恒沙の神仏、骨髄の丹誠を納受あって、只今の宗近に力を合はせてたび給へ。謹上再拝」

一心不乱祈願の折から

虚空はるかに声あって

「いかにや宗近。詔の剣打つべき時は只今なるぞ。頼めや頼め、たゞ頼め」

と壇上に現はれ三拝の、膝を屈して直りける。

〽︎秋更けて、夜寒の衣うつゝにも、露か時雨か紅葉葉の、こがるゝ色とわが心。

「打てや、打てや」

と、鉄とりのべ、教への鎚をはったと打てば、ちょうと相鎚、ちょう〳〵〳〵、打ち重ねたる鎚の音、天地に響きておびたゞし。




陰陽和合たちどころに、打ち奉る御剣の表に小鍛冶宗近と、裏にはしるく小狐と、打つも妙なる神宝

天の叢雲かゝるとも、むらむら雲のみだれ焼き、匂ふばかりの金色は、霜夜の月に照り添ひて、いと潔く見えにける。

「勅命の御剣、只今成就仕る」

と恭しく捧ぐれば

道成欣然と領承あり。

「ホヽウ、いしくも打ち奉りしものよの。天下第一二つの銘。アラ心地よやこの剣、小狐丸と名づくべし。

かゝるめでたき御剣を、わが心ぞとその身にしめ、いよいよ民草打ち集ひ、世は太平と希ひ、豊かに励む生業の、五穀成就や君万歳」

と伝ふる鍛冶の道ひろく

「なほ行末を守るべし。これまでなり」

と言ひ捨てゝ、また叢雲に飛び移り、稲荷の峰にぞ帰りける。