お能と人形浄瑠璃文楽と歌舞伎によるコラボ。世界遺産結集。マーベルのユニバースみたいな。 | さきじゅびより【文楽の太夫(声優)が文楽や歌舞伎、上方の事を解説します】by 豊竹咲寿太夫

       
  世界文化遺産ユニバース。







見台








マーベルシネマティックユニバースを引き合いに、世界文化遺産のお能・文楽
ぶんらく
・歌舞伎が結集した昨日の舞台のことをお伝えしようとおもったのですが、


見出し。。。



こう書くと、味園ユニバースみたいでした。





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味園ユニバース
渋谷すばる・二階堂ふみ




こんにちは。

人形浄瑠璃文楽ぶんらく太夫たゆうをしている豊竹とよたけ咲寿太夫さきじゅだゆうです。

わたしはこのブログを通して、人形浄瑠璃文楽
ぶんらく
のことを発信しています。

アシスタントのシェリーの記事では「上方
かみがた
文化」に関することをご覧いただけますので、ご興味のある方はそちらもぜひご覧ください。





さて、昨日は渋谷のセルリアンタワーの能楽堂にて、わたしの師匠豊竹咲太夫と、大倉源次郎先生をはじめとするお能囃子方の皆さま、そして歌舞伎から尾上菊之助さんによる、日本の世界文化遺産結集コラボ「隅田川」の上演がございました。





伝統芸能の新作の作り方というのは多様なモデルがございまして、

「既存の演目を新たに演出し直す」

「現在人気のものを原作に、新作を作る」

「新たな演目を奇をてらうことのない、まるで古くから存在していたかのように作る」

などなど、試みは多くなされております。



最近ではマンガを原作にしたり、テクノロジーを駆使して舞台上に反映させたりして、新たな視点を導入するケースが見受けられます。



伝統芸能に現代のエッセンスをプラスすることによって、新しいお客様にプッシュする方法でございます。




こちらの利点はなんといってもまずは原作のファンのお客様で、わたしたちのような芸能の舞台をご覧になったことのなかった方々にアピールできることが大きいかと思います。


そこで大成功をおさめたワンピースや、超歌舞伎は歴史的転換だったかと思います。

と、同時にそこが難しい点でもございます。

原作ファンの皆さまに納得していただける舞台化ができるかどうかという点でございます。

原作を軽んじることは(どのように舞台化するにせよ)、ターゲットであるはずの原作ファンをないがしろにすることに等しくなってしまいます。


では、反対に、既存の各伝統芸能ファンへの訴求という点で考えてみます。


こちらではおそらく皆さまもご想像にかたくないかと思われますが、賛否が分かれることは逃れられないかと思います。


好きな演者の方々の新しい一面、また自身の好きな芸能の新しく開発された今までに見たことのない一面を見ることに、新鮮味と柔軟性を感じる方。

反面、もちろんではございますが、新しいことをするということは既存の古典的概念から脱却するという面を少なからず持ち合わせますので、これはその芸能であると規定できるのかという視点から、「その芸能の演者を使った何か」にしか見えない結果をもたらすことが考えられます。




やはりこれが新作を観ていただくことの難しさではないかと思うのですが、ここで明確にすべきなのは、その新作のターゲットは何かということだと思います。




お能で、狂言で、文楽
ぶんらく
で、歌舞伎で、そんな変わったことをして、そんなのその芸能じゃない馬鹿馬鹿しい、という感想を持たれる方もいらっしゃることでしょう。

むろん、それはお客さまのみならず、わたしたち演者においてもそうで、そういった新作がつくられるごとに必ず「あれはその芸能じゃない」という方がいらっしゃるものです。

ただし、その新作をすることによって、新しいお客さまにその芸能の表面に触れていただくことができることが目的でありますし、実際ここ数年の多彩な活動の数々を拝見させていただいていると、その新作によって古典の作品にもどっぷりとハマってしまったお客さまが存在しているのです。




ですから、多方面からの視点で新作とコラボレーションの意義を見出すことが必要になります。



ただきちんと芸を継承されている方が新しいことをしないと、ただの真似事になってしまうのも真実でございます。

たとえばわたしが今なにか新作を作ったとしても、それはただの真似事にしかならないわけなのです。






ここが難しく、またもどかしいところです。

新しいことばかりをすると、本来習得しておかなければ、その芸とよべない技術が習得できない、つまり新しいことをすることによって演者が芸を継承できずに結果その芸能の中枢・核である芸の匂いが死んでしまう危険性もはらんでいるのです。





さて、その新作の作り方ですが、
現代の新しい技術を取り入れるという方法もあり、

また

最初に述べたパターンの中の、「古くからあったように、新作・コラボレーションを創作する」という手法もございます。





今回、セルリアンタワーの能楽堂での「隅田川」もそうでございますが、プロジェクションマッピングや現代語などを取り入れることなく、古典にのっとって新作を作るということでございます。




それは「新作である意義はあるの?」という疑問をもたれる方もいらっしゃるかと思います。


じつは、新作をまるで昔からあったかのように作るというのは難しいことであります。


なぜなら、その古典の技術を継承している人間にしか、つまり演者にしか、演者の中でもわたしのような若輩でない芸の継承者にしか作りだせないからです。




それによってつくりだされたものは、それぞれの時代の一瞬一瞬の派手さや流行の刹那を含むことはございませんので、全く興味のない方への訴求は難しいものでございます。

ただし、自然と芸能としての骨格の太さと頑丈さを持ち合わせている新作となります。




つまりは新作として出来上がった際にはすでに普遍性を含んでいるものとなるわけです。



そればかりは、各々の芸能の継承者でしか作り得ないものです。

近松門左衛門のような存在がいない現在、それができるのは演者のみであるのです。

古典をすることの意義はそこにありまして、古典という言葉から語弊が生まれると思うのですが、古典は現在の人の心にも訴えることのできる普遍性を受け継いでいくこと、伝統芸能は燈を伝えていくこと、リレーで繋いでいくことであります。

演者の命が尽きても、心は継がれていくのが伝統芸能の意義で、各時代の波に翻弄されることのない「普遍」とはなにかを知ることができるのが伝統芸能を繋ぐ意義であるとわたしは考えています。



第二次世界大戦の際、実際に当局から上演する演目の制限がかかり、軍国鼓舞の演目を上演するよう命じられている歴史がございます。

また終戦後も、様々な制限がかけられている資料がございます。



それはどういうことかと言いますと、普遍的な情には人々の感情のうねりを産み出す力があるということを逆説的に証明した事例であるのです。



「芸」には娯楽以上に、人の心を畝らせることができる力があるのです。


だからこそ、古典を繋げつづける意義があります。





「今」だけが今じゃない、今はなく、歴史の続きが今でそのまま未来が訪れているというのが時間であると思います。





今後、そういったこともしっかりと考えながら舞台を努めてまいりたいと思います。

そんなことを考えた「隅田川」でございました。














https://www.ntj.jac.go.jp/sp/
日本芸術文化振興会サイト



https://www.ntj.jac.go.jp/sp/bunraku.html
国立文楽劇場

https://www.ntj.jac.go.jp/kokuritsu.html
国立劇場





https://www.bunraku.or.jp/index.html
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仏果を得ず