道頓堀はブロードウェイだった。
このブログのスタッフ、シェリーです。
咲寿太夫さんが文楽の魅力を、わたしが上方の文化や生活・土地のことを発信しているのがこのブログです。
さてさて、今日のテーマは
いま道頓堀は雑多な街ですよね
何でもある!!
たこ焼きござれ、おうどんござれ、蔦屋ござれ、スタバござれ、フォーエバー21ござれ、お笑いござれ、歌舞伎ござれ、ジャニーズござれ、かに道楽も忘れちゃいけない。
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道頓堀ver
最近はインバウンド需要も大きいから、なおのこと多岐にわたるジャンルのお店がひしめき合っている。
それが道頓堀。
さて、そんな道頓堀だけれど、こんな風になったのはつい最近のこと。
わたしが東京から大阪に移ってきたころはもう少し元気がなかったように思う。
それが(インバウンド需要にしても)またふたたび元気を取り戻してきている姿を見るのは興味深いし、大阪好きとしては嬉しいこと
ふたたび、というのが今日の大事なワードなの
というのもそもそも道頓堀というのは芝居の街として夜も寝ない街だったから。
江戸時代、川岸というところではたくさんの芸能が行われていたの。
その中でも人形浄瑠璃と歌舞伎が市民に人気だったのは以前言ったとおり。
初期の歌舞伎には遊女歌舞伎というものがあり、阿国の歌舞伎踊りの進化の先なんだけれど、遊女が歌舞伎踊りをするというものだったの。
そこが幕府のお咎めをうけたの。
表向きは演者として舞っている遊女を買う、つまり売春する人が多かったため。
裏の本心はあまりにこれらの芸能が士農工商の垣根をこえて人気がでたために、封建制度の崩壊を恐れたという説があるわ。
ともかくそれから、女性が人形浄瑠璃ならびに歌舞伎などをすることが禁止され、幕府から官許で興行権をもらって演劇をする必要性があったの。
櫓官許の制度が始まって、幕府公認の芝居小屋には各劇場には櫓が建てられた。
当時、その幕府公認の劇場が建てられたのが道頓堀だったの。
道頓堀の川沿いの南側に劇場がずらっと建てられ、浜側にはお茶屋さんが並んだんだって。
「芝居を観て、お茶屋でも行きまひょか」の場所が道頓堀だったの。
その公認を得た劇場が五座あったの。
その中にもちろん人形浄瑠璃の竹本座もあった。
櫓官許の元、人形浄瑠璃での最高位の太夫は櫓下と呼ばれ、櫓下の演者は芸能界最高位とされたの
官許の元、最高位なのだから芸能界最高位ということね。
今はその制度はもうないわ。
道頓堀の通りに並ぶ芝居小屋、反対側に賑やかに並ぶ茶屋は、まるでブロードウェイのようだったって言うわ。
ライオンキング
ブロードウェイ版
ちなみにブロードウェイ版・劇団四季版ライオンキングの動物たちの演出法は人形浄瑠璃から着想を得ていて、実際に演出家の人が淡路に取材にいっているの。
戦後からバブル崩壊を経て、道頓堀のそれらの劇場群は一気に失速、次々に閉鎖されたの。
そうして現在。
道頓堀は再び、活気に溢れている。
江戸から昭和初期のような芸能の通りでの賑わいではないけれど、それでも道頓堀というところはいつの時代も人を笑顔にさせてくれる、そんな通りだったらいいなって思うの。
シェリーでした
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