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咲寿太夫です。
古浄瑠璃というのは、おおむね近松門左衛門登場以前の浄瑠璃と思っていただいて構いません。
さて、そもそも浄瑠璃というのは琵琶法師から派生したもので、説話が多かったのです。
つまりは庶民が文学的主人公として現れることはあり得なかったのです。
浄瑠璃は語り物。
これは共通認識として留めておいていただきたいもので、決して歌ではないことを頭の片隅に置いていてください。
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その上で、古浄瑠璃時代の浄瑠璃は、いわば叙事詩であったと表現できます。
演劇としてもちろん作られてはいますが、その実、近世から現代のような感情を起点とする性格劇ではありませんでした。
「物事・出来事の筋」を語って聞かせるということに重きを置いていたのです。
よく海外のファンタジー小説などで吟遊詩人など語り部が出てまいりますが、ああいった人々に近いものがあったと推察されます。
古浄瑠璃の中での「詞」と「地」の文の棲み分けや明確な区別はまだ誕生しておらず、会話そのものもストーリーラインを示すものであったのです。
つまり、この頃にはまだ感情を深く表現したり、それによる人間の機微を描くようなものはなかったのです。
もちろん、近松門左衛門がいきなりそれを全て変革して、人間ドラマを作り上げたわけではございませんが、それにしても近松門左衛門が生涯をとして進化させた浄瑠璃は、それまでの浄瑠璃を「古」浄瑠璃と言わしめるほどの近世演劇の進化をみせたわけです。
その近松門左衛門は浄瑠璃にも歌舞伎にも関わっており、両者は互いに題材を共有し、あるいは切磋琢磨し、日本における近世演劇の形を決定づけたのは間違いありません。
近松門左衛門という人の成したことは、それほどまでに近代的で、言いかえれば当時の人にはとてつもなくコンテンポラリーなものであったに違いありません。
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現代まで続く浄瑠璃の世界は、近松以前以後とも言われるほどのもので、むろん、長きにわたり残っているのは、やはり人間の感情の機微を描いたものばかりなのです。
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