18歳5月のある日、セットで稼いだ4000円を握りしめフリーデビューした
3半荘打って2.1.3で+1000G
この日もし2000円以上負けていたら二度とフリーに行かなかった
5月は半荘76回打ってラス3回という好成績だった事で雀荘に通うようになる
19歳の時、津田沼の雀聖と呼ばれる伝説のメンバーに知り合った
当時その店のメンバーは時給750円ゲームバック無しでピンの東風を打たされる
ほとんどのメンバーがアウトオーバーなのでピンの東風が立つと、給料残ってるメンバーは必ず卓が割れるまで打ちっぱなしになるのに給料をしっかり残してたのが伝説の雀聖である
私は雀聖唯一の弟子になり、色々アドバイスを貰うようになった
20歳のある日親父と喧嘩して家を飛び出し高円寺で1人暮らしを始める(家賃68000円)
バイトを探そうと面接を受けまくるがバブル崩壊後だったため全滅
仕方なく都内のフリー雀荘を回り、勝つ事で生活費を稼ぐ事にした
プロに興味あったので色々な店でプロと打ったが、
これは強い!と思ったプロは池袋リツの飯田正人プロだけだった
リツでは飯田プロと俺の2人がかなり勝ったのだが(両脇はめっちゃ負けてた)、飯田プロの店で打ったらたいして稼げないと感じてそれ以降ほとんど行かなかった
半年後質の悪い新聞勧誘員と大喧嘩して、報復を恐れて阿佐ヶ谷に引っ越す(家賃74000円)
麻雀の方は毎月10万以上勝てた上に、年上の彼女にいつもご馳走してもらっていたので2年間一切バイトせず暮らすことができた
22歳でデニー〇に就職したが、パワハラされ放題の上に1日12時間拘束されて手取り10万前後
立ち仕事は疲れるのでこのまま一生麻雀打たないだろうなとおもったが、病気になり手術をする事になった
医者から1年間安静にするよう言われ、会社に報告すると解雇と言われる(今なら不当解雇)
手術後、職を失った俺は失意のまま千葉のあぶさんという雀荘に行き、4か月打っていなかった麻雀をまた打つようになる