基本、殿が何かしら買い物をするのは、ネット。
なのでネット注文で宅配されることの多い家。
なので、チャイムは基本的に何も考えずあける、
超危機管理の出来ていない我が家です。
で、本日も「ピンポ~ン」。
何か頼んだっけ?と思いつつ、玄関のドアを
開けるとそこには、宗教勧誘のおば様2人が。
月1ペースでやってくる方です。
こういうのも神様の与えた試練として、おば様たちは
家々を廻っているのだろうケド・・・
ドアを開ける音がしたら、すぐに子ども達は玄関へやってきます。
興味津々で”ちぃ”が。そしてその後ろから”びぃ”が。
親馬鹿ですけど、このシチュエーションの子ども達って
本当に可愛く見える。大抵の訪問客に好評です。
そして・・・おば様たちの格好の話の切り口になります。
聖書を読まれたエホバな方。
本日は子育てに関しての1小節を読まれて帰っていきました。
・・・ていうかさ、私、あなた方の神様の教えに
思いっきり反している生き方しているんですぅ~
「結婚して、神様から子どもを授かり、親としての~」
と仰いますが・・・
神様から子どもを授かり、親としての~は理解できます。
でもね?大前提の「結婚」がないのよ、ここには。
それどころか、神様が戒めている「不犯」?になる
「不倫」で成り立っている家族なのよね。
”びぃ”の悪阻が酷くて、対応が面倒だったとき、
違う宗教な方がやってきて、
集会に来いとうるさいので、正直に、
「あなたの神様が戒めていることを犯している人間ですので、
その教えはそもそも通用しません」と、
不倫の上での子持ちなので、
大前提からして、その神様が想定していることでは
ありませんね?その教えよりも、
私が子どもを授かったときの信念を貫く方が、
よっぽどまともな生き方だと思うのですけど?
するとその方は私を説得しようにもできなくなって、
うやむやむやになって、2度と来なくなったことがありました。
それにしてもエホバな方。
高校生の男の子が大雨の中、
「今日はこんな節を勉強しました」といきなり聖書を読み出し、
家庭訪問している方も神様の試練を実行されているの
でしょうけど、それに対応しているこちらも、
一方的に神様の試練を行われ、素直に聞くなんて
あなた方よりもデキた人間になると思いません?
特にエホバな方には宗教とは別の思い出があるので、
完全な拒否も、でもやりきれない思いもあるので、
その思い出のために、とりあえずドアを開けるまでは
しますが・・・
神は祈るものであって、助けを求めるものではない。
神に祈り続けて何が見えて悟るのか分からないけど、
子ども達は神様からのギフト。
そしてこの生き方も神様からのギフト。
私の神様と対峙し続けて、私の人生は満ちていくのでしょう。
でもさ、神様の教えを説く暇があったら、
ボランティアするなり、働いて寄付した方が、
よっぽど他の方(神様)のためになると思うんだけど?
寄付を募る人にも、ときどきそう思うのです。
足長募金は仕方ないけど、その他の募金に出会うと、
つい、「いい大人が金くれだけで、時間を潰して・・・
効率悪くない?」と思うのです。
この考え方って変?