2021年7月小説「笑顔の守り番」を文芸社より出版。2022年8月「猫ブシ道!信の行方」kindle出版。こちらにブログ小説を綴っていきます!
春、出会いの季節。毎日ドキドキです。あれ?去年より気持的に人との距離を感じないような……マスクをしていない人が増えたせいかな。歓送迎会では飲んで食べてしゃべって。黙食なんて言葉もあったっけ?って思います。しばらく本職の仕事が山積みでブログの更新も遅くなりそうです。ぼちぼち書いている「小説ツワブキの花」も終戦に向かっていきます。もう少し当時の資料を読み込んだ上で書き進めます。前回年齢設定間違っちゃって訂正しました。ごめんなさい。ドラゴンズの勢いに乗っかって職務を果たすのだ~( `ー´)ノRIDE ON !
疎開「父ちゃん、帰ったら怒るかなあ」「もういいから、早くおやすみ」 幸子は勇作を布団に寝かせつけると、ふすまをそっと閉めた。夫は実家の母屋に行ったきり、なかなか戻ってこない。 夜遅くまで店の仕事で忙しくしていた幸子にとって、何もすることがない田舎の夜はやけに長い。(きっと、お義兄さんと飲んでるんだわ) いつもなら勇作と一緒に横になって寝てしまうのだが、今日は大事な話がある。もしかしたら勇作の一生に関わることかもしれない。空襲から逃れても、ここでは命が危ない。 ところが幸子の不安とは裏腹に、徳次郎は上機嫌で帰宅した。徳次郎は眠ったふりをする勇作の横に座り、布団から出ているいがぐり頭に顔を寄せた。「なんだぁ、この臭いにおいは。ちょっと前まで、おしろいのいい香りだったのになあ」「ぷふぁ、父ちゃん酒くせぇ」「なんだ、お前起きとったんか」 ふざけてじゃれあう父子の姿を見ていても、幸子の心は晴れなかった。ゆくゆくはこの土地で新居を構える予定だが、しばらくは夫の実家に居候することになり、離れを使わせてもらっている。母屋には義父母と兄夫婦の家族が住んでいた。 勇作のいとこに当たる長男の浩司と1つ下の妹、清子は、人懐っこい性格で、子ども同士すぐに仲良くなった。同い年の浩司と勇作は、毎朝一緒に登校している。 幸子は、当然学校に通っていると思っていた。ところが、実際はそうではなかったのだ。夫に何から話したらよいのかと、今朝からのことを思い起こした。 「ルーズベルトぉの、ベルトぉが切れてぇ……」 調子はずれの替え歌が聞こえてきた。浩司だ。「ほら、浩ちゃんが迎えにくるよ。早く支度して」そう言っている間に、竹垣からひょっこりと浩司が顔を出す。いつも通りの朝だった。「チャーチル、チルチ~ル、国がぁチル 国がチル」ふたり連れ立って歩く姿が、歌声と共に少しずつ遠ざかっていった。 つづく
昭和19年秋。農作物を作らない勇作の家は、その日の糧を得るため、家財道具から着物まで売れるものはすべて売りつくした。 勇作は国民学校3年生。妹の君子は1歳半の愛らしい盛りだ。「おはようございます」 学校が休みの日は、清子が必ず勇作の家にやってきた。「また来たか」 勇作は口をへの字にして大の字に寝転がった。 反対に君子は両手をついて立ち上がり、清子の声がする縁側へ駆け寄る。「君ちゃん、ごきげんさん。一緒に食べよう」 清子は手に持った包みを膝の上に置いて、まだ温かいふかし芋を見せた。「清子ちゃん、いつもありがとうね。お母さんによくお礼言っておいてね」 幸子が目を細めて小さく会釈すると、「はい。伝えておきます」と清子は照れたように笑った。 勇作より一つ年下で2年生の清子は最近大人びた話し方をする。それが勇作には気に入らない。「はい、伝えておきますう」と清子の言い方を真似る。「もう、勇ちゃんには絶対お芋さんやらんからね。君ちゃん、あっち行こう」「なんもいらんわ。お前、自分の弟も可愛がったれよ、君子とばっかり遊んで……」 清子は勇作のぼやきに耳を貸さず、君子の小さな手に芋を小さくほぐして乗せた。「清子ちゃんは君子の小さなお母さんね」それに引き換え、と言うように幸子は勇作のむくれた顔を横目でにらんだ。
心浮き立つ春到来。何か新しいことを学んでみようかな~とカルチャーセンターで体験講座を受けてみた。娘の勧めもあって「古事記を読む」教室に参加。「山幸彦・海幸彦」など子どもの頃に児童書で読んだ覚えはあるが、全然知識はない💦それでも、講師の先生が丁寧に解説してくださり、神様の物語を堪能した。最後に質問の時間があり、年配の男性がさっと手を挙げた。「コノハナノサクヤヒメを桜の花に例えるのは如何なものか」当時、花と言えば梅だったというのが、この質問者の説のようだ。他の受講生からも「そうよね。梅だわね」と声があがった。これに対して、講師の先生は、桜の花の散り際が美しく儚げであることを挙げるが、「梅の花だって散るぞ」と質問者は腕を組む。結局、「次の講義までに調べてきます」と先生が幕を下ろした。みんな次回まで覚えているかしら。ひょっとしたら忘れちゃったりして(これは失礼!)新入会で次回も受講したら、この結末がわかるかなと興味が沸いた。花は桜か、はたまた梅か。桃はどうだ!?名古屋地方気象台で桜の開花発表あり。4月上旬にはお花見が楽しめそう🌸我が家に春を知らせてくれるのは、フリージア💛
一年の計は元旦にあり、と目標を立て二月節分に目標を見直して修正をかけ春分の日こそ一年のはじめ、と……心機一転が私の得意技です(笑)あ、一つだけ継続していることがありました!地元の中日ドラゴンズ優勝に向けて応援すること。この目標計画「球場で観戦する」は、これからですが念(?)は既に通じているようで3連勝中🎊今年の目標・・・あとはボチボチがんばろう ☝ リンちゃんです。(絵・小川愛さん)『猫ブシ道!倫の覚悟』先月kindle出版しました。システムがよくわからないながら手探りで出しています。
「おばちゃん!おばちゃん、いる?」 遠くから聞こえてくる浩司の声に、幸子は干し物をする手を止めて母屋の庭を振り返った。「肥えちゃん、こっちだ。こっち」 浩司が誰かを手招きしている。「おばちゃん、布団ひいたって!勇ちゃんが川でおぼれかけたんで、肥えちゃんがおぶってくるから」 幸子は何が起きたのか理解できず、ぽかんと口をあけている。浩司が一生懸命説明してくれるのだが、どうにも頭がまわらない。 そのうちに、「肥えちゃん」と呼ばれた体の大きな子に勇作が背負われてきた。「勇作!」 血の気が引いたような青い顔をしている。幸子が側に駆け寄って声をかけると、勇作の目がうっすら開いた。「釣り舟の下に体が張り付いちゃったんで、なかなか引き上げられんかったって。その舟に乗ってた人が言ってた」勝治と亮太が、かわるがわる言葉をつないで、川に落ちた経緯や助けてくれた人のことを話すも、幸子の耳に届かない。 引っ越してくる前から悪い噂ばかり耳に入っていたのに、なぜ来てしまったのかと悔やまれた。色んな悪い噂には尾ひれがつく。任侠映画の一幕を思いおこすような事件がまことしやかに語られると、幸子はその度に笑って打ち消したものだった。 だが今は(やっぱり、こんなところに来るんじゃなかった)と胸のうちで繰り返しつぶやいた。 この一件があってから、幸子は自分だけが他所者という思いにかられた。元々町育ちなので土や草の匂いも嫌になり、ほとんど外出しない。母屋の方にも顔を出さなくなった。 そんな幸子の様子を心配して、義姉の知子は近所への紹介など、生活の細部に渡り、色々面倒をみて励ましてくれた。「うちの浩司も勇ちゃんが来てから張り切っとるわ。子ども同士はすぐ馴染むから心配いらんね。私たちも仲ようやりましょ」「ありがとうございます。何か私でも役に立つことがあったら手伝わせてもらいます」と、つい幸子は早朝から農作業を手伝う約束をしてしまった。 ある日のこと、幸子は、いつになく気分が悪くなり木陰に腰をおろした。めまいと吐き気がする。しばらく目を閉じていると額から汗が噴き出してきた。不慣れな野良仕事に周囲への気遣いが重なり、体より先に神経が疲れ切ってしまったようだ。額に流れる汗を手ぬぐいで拭きながら、木漏れ日を見上げると、今朝早く、川釣りに出かけて行った夫の言葉を思い出した。「店を売った金で、しばらくゆっくりするか」 若い弟子たちが次々に召集され、夫も心臓の持病がある。そのような状況で実際、店を続けることは難しかったかもしれないが、自分ばかりに気苦労が溜まるのはやりきれない。(私も呑気に構えていようかな) 少々捨て鉢な考えも頭に浮かんだ。先のことを考えると余計に気分が悪くなる。そのうち日差しが強くなってきた。それにしても、これほど汗をかくことは、湯気の立ちのぼる店の厨房でも滅多になかった。(家に帰って少し横になろう)そう決めて、ゆっくり立ち上がると、少し気分もよくなっている。ふと勇作を身ごもった時のことを思い出した。(もしかしたら……) 店じまいと引越しの忙しさに追われて体の変調に気付かなかった。その晩、知子に相談して産婆を紹介してもらうと、何故だか(この土地で暮らしていける)という自信が湧き上がってきた。 翌日、農作業を休み散歩に出かけた幸子は、畑の中から声をかけられた。「いいねえ。非農家さんは気楽で」 幸子も負けじと大きな声で返す。「ご苦労様です。また手伝いに来ますから」 そう言って、まだ平らな腹にそっと手を置いた。つづく
お産以外で一回だけ入院したことがある。吐き気の後、目の前が真っ白(真っ黒だったかな)になってその場にしゃがみこみ、急性胃腸炎と診断され、職場である病院に一泊。前夜、体調が悪いのに無理をして会食に付き合いえび料理のフルコースを食べたのが原因か。先輩が退職することになり、この先、私でやっていけるだろうか~と不安になってのことか。その両方だったような気もする。心配した同僚がスイートピーを持って病室を見舞ってくれた。「はかなそうに見えるけど、強いんですよ。この花」言外に(がんばってね)のメッセージと受け取った。それ以来スイートピーを見ると、(この花は自分だ。立ち上がれ!復活だ)と勝手に励まされ大好きになった。弱々しいのに強いなんてギャップ萌え~!?最近、心身ともに落ち込むことがあり、これが厄年で大殺界で裏運気ってことか~なんて思っていた矢先、我が家にやって来てくれました!スイートピーの種。「名古屋市花いっぱい運動」っていうのだそうで区役所の窓口に置いてあったのを頂きました。花言葉は「優しい思い出」(他にも色々あるみたい)和名が「麝香えんどう」ん?えんどう……今までどうして気が付かなかったのか。スイートピーのピーって。英名は「甘い香りの豆」だったんだ~(#^.^#)
2月25日㈰開催の文学フリマ広島、当日体調不良で参加できませんでした。こちらのブログでは宣伝していなかったのですが、もし文学フリマのサイトで知って、足を運んでくださった方には心からお詫びいたします。結果から生活を振り返ってみると、食事、睡眠、休息のどれもおろそかにしていました。気持ちだけ焦って、イライラしたり、現実逃避したくなったりこれまで文学フリマは大阪での出店でしたが、今回広島に決めたのもちょっと家から離れたかったのも理由のひとつ。この動機が既にアウト!心入れ替えて、次回リベンジします。ごめんなさい。名古屋は今朝少しだけ雪が舞ったようです。まだまだ寒い……今日は確定申告と雛飾りから逃避して取り合えず休養します。カバーの画像は収穫したてのスナップエンドウ。内容と関係ないけど(笑)
川の攻防戦 幾日も降り続いた雨が上がり、久しぶりに青空が広がった。蝉の鳴き声がうるさい。 学校へ向かう途中、蟹江川にかかる橋の手前で急に浩司が立ち止まった。「ここでちょっと待ってみるか」 ふたりが橋に寄りかかって水嵩の増した川を眺めていると、登校する子どもが次々通りかかり、勝治と亮太もやってきた。「浩ちゃん、学校どうする」「ああ、かっちゃんか。まだわからん。休むかもしれん」「じゃあ、俺らも行くのやめような、亮ちゃん」 亮太がにやりと笑ってうなずく。 浩司の「よし、決まりだ。遊ぶぞ」という一声で、我も我もと川岸に河童の群れができた。おどけて準備運動する者や水の冷たさに奇声を発する者。土手の上に脱ぎ散らかした服がそこかしこに散らばっていく。勇作ただ一人が岸辺に取り残された。 そこへ、見回り中の警官が自転車で通りかかった。「何してるんだ。学校は……」 勇作は、その瞬間(叱れる)と思って怖くなり、土手を転がるように駆け下りた。橋の上に自転車をとめて勇作の後を追う警官の姿に気付いた浩司が、「勇ちゃん、川ん中へ入れ」 と手招きをした。そのすきに体の大きな健太が岸に上がり、橋の上に向かった。 健太は勇作たちより4つ年上で皆から肥えちゃんと呼ばれている。太っているという意味だけでなく、肥担ぎをさせたら彼の右に出る者はいないくらい上手に担ぐので、その名がついた。「よいしょ」と警官の自転車を持ち上げると、川の中に放り込む真似をした。「待て、やめろ。頼む、やめてくれ」 それを見て慌てた警官が再び橋に戻ろうとすると、今度は川で遊んでいた河童たちが一斉に岸辺へ上がった。裸のまま押し合いへし合い、警官の周りを取り囲む。 全員が川から出た頃を見計らって、健太が自転車を川へ投げ入れた。「おい、流される前に取ってきてくれ」 青ざめた顔の警官は、河童たちに「早く取ってきてくれ」と拝むように頼む。「わかった。親に言わんと約束してくれたら取ってきてやるよ」「黙っていてやるから、早く……」 その言葉に、数人の河童が水に飛び込み、流されていく自転車を追った。 そして、他の者も川の中へ戻っていった。「あれ、勇ちゃんがいない」 最初に気付いたのは亮太だった。 つづく
三重県にある高田本山専修寺に義父母の分骨がしてあります。蓮の花で有名ですが、最近は映画のロケ地に選ばれているようです。この日は雲一つない青空でした。納骨読経をお願いして、順番待ちの間は散策タイムです。如来堂と御影堂を結ぶのが通天と呼ばれる橋。ふたつのお堂は国宝、橋は国指定重要文化財だそうです。俳優さんの名演技に手を叩いて喜んでいる義父母を想像して楽しくなりました。私もきっと推しの俳優さんが間近で刀を振るっていたら目がハートになっちゃうだろうな~骨になっても!
木金金~♪最近、私の一週間を歌にするとこんな感じ。職場で仕事、家でも仕事。休日は研修会と、フリーの専門職が陥りがちな恐怖の無休状態💦行ったことのないハワイを思い描き、「は~れた空~♪」と「憧れのハワイ航路」を口ずさんで何とか乗り切れました!☝の2つの曲を生んだのは江口夜詩昭和歌謡の礎を築いた作曲家です。(私の気持ちが伝染するのか、どうしても画像が寝てしまう。やっぱり休養は大切)貴重な資料や写真と評伝の背景には戦争という暗い時代もあって、ひとりの作曲家の一代記ではあるけれど、自分の祖父母、両親の面影を探しながら読んでいます。歌謡史って、その時代を生きた人の心をたどることができるからでしょうか。あ~やっと土日がやってきました。休みです(*^^)v寒い日が続きます。みなさまもお体に気を付けてお過ごしください。今年もよろしくお願いします。 (咲)
店じまい 「明日、妻の実家がある田舎に越すことになりましてね。近所をふらふら散歩してきました。遅がけに来て長居をしました」その時初めて気が付いたように勇作を見つけ、微笑みかけながら「坊ちゃん、いくつ?」と聞いた。「この春から国民学校1年生ですわ。早いもんです、子どもの成長は」 徳次郎が代わりに答えながら熱い茶を注ぐと、元法務官の男は湯呑に目を落として両手を添えた。そして、「そうですか」と小さくつぶやいた後、茶をすすった。会話が途切れると、客の居なくなった店内に茶碗や皿を片付ける音が響く。「私は退官して随分経ちましたが、嫌な噂や情報は耳に入ってきます。あなた方も名古屋を離れた方がいい。家族は一緒に居るのが一番だが、預け先があるなら坊ちゃんだけでも早いところ田舎の方に移った方がいいかもしれません」それだけ言い終わると、コートを手繰り寄せて席を立った。 幸子は、おかしなことを言う人だと思いながら外まで見送りに出たが、暖簾を外して店に入ると、徳次郎はいつになく思いつめた表情で立っていた。 大本営発表は勇ましい知らせばかりだ。日本が、それも名古屋が爆撃されることなど考えられない。 ところが、それ以来、徳次郎は店を閉める決意を固めていった。そしてついに、「店を売った金で、しばらくゆっくりするか」と言い出した時、幸子は(若い弟子たちが次々に召集されてしまっては仕方がない)と、腹をくくった。 住み慣れた土地を離れるのは不安が大きい。だが心臓に持病がある夫が、このまま店を続けることは無理だった。 4月、勇作の国民学校入学に合わせて、夫の郷里へ転居を決めた。それから半月後の4月18日。名古屋に初めて米軍戦闘機による奇襲攻撃があり、街に焼夷弾が落とされた。 (つづく)
一年を振り返って、漢字一字を考えると……色々ありましたが、なるべく良いイメージの漢字を選びたくて、思いついたのが「継」父と義父、ふたりから受け継いだものを娘たちに継なぐ使命を感じた一年でした。2021年に出版した「笑顔の守り番」専門学校の作業療法士科で来年度の副教材に取り上げていただけるようで、続編又は加筆を乞われました。この機会に是非継続して執筆に本腰を入れたいと思います。仕事を整理したいと思いつつ、来年もすべて継続を決めたこと。これは、自分の中で大きな決断でした。来年の還暦イヤー(笑)をフルスイングでやりきる覚悟です!契約先が、いつの間にか5か所になっていてビックリ。ありがたいことと感謝しています。そして、本日無事 仕事納めとなりました。合わせて、年内のブログもこれにて最終にします。昨年はコロナで自宅待機の年末を過ごしましたが、今年は元気でお正月を迎えたいです。ご訪問くださいます皆さま、どうぞ良い年をお迎えください。来年もよろしくお願いいたします。
残り香 昭和17年正月。勇作の両親が営む小料理屋は、お座敷前の腹ごなしをする芸者衆で賑わっている。この頃の日本は戦勝ムードに包まれていた。「勇ちゃん、こっちへおいで」 店先で母の後を追う勇作に、食べ終わった芸者の一人が声をかけた。5歳になったばかりの勇作は人見知りが激しく、小走りに調理場の中へ駆け込んだ。「すみませんね。愛嬌のない子で」 母の幸子が眉をひそめて会釈した。その後ろから顔を半分のぞかせる勇作に、周囲の常連客からも笑い声が起こった。「勇ちゃんはもてていいなあ」 それを受けて、さっきの芸者が勇作に歩み寄り、頭をなでた。「成長した証拠よねえ。ちょっと前までは抱っこさせてくれたものね」 外が暗くなってくると、花街に灯りが灯りだす。芸者たちの帰った後は、おしろいの残り香がした。 その甘い香りに、幸子は勇作の幼い頃を思い出す。夫の徳次郎は、暖簾を店の内にしまうと、決まって勇作を抱きかかえ、「お前は、いい匂いがするなあ」とほおずりをした。 勇作が小さな体をよじらせて大声で笑うと、調理場にいる二人の若い調理見習い達も、つられて笑顔を見せた。2年前から二人とも住み込みで弟子入りしていたので、まるで家族のような存在だ。(あの子たち、元気にしているだろうか……)白い割烹着から兵服姿になった彼らを送り出す時は、つんと目頭が熱くなったのを昨日のことのように覚えている。 近くには軍需工業が多く、陸軍関係者もよく昼飯に訪れていた。その中には5年前、陸軍法務官を退任して郷里の名古屋に帰ってきた男がいた。 松の内の明けたある日のこと、珍しく昼過ぎの遅い時間に顔を見せたその人は、ひとり黙々と箸をすすめていた。最後の一口を食べ終わる頃合いを見て、徳次郎が急須を持って近寄ると、「ああ」と満足そうに手を合わせた。「ごちそうさまです。ここの味噌田楽も今日で食べ納めかな」 その理由を聞くと、顔に刻まれたしわが一層深くなって見えた。(つづく)
町内で地域猫活動が始まりました。今年は寄付できるほど自著の売り上げもなくてどうしようかなと思っていた矢先だったのでボランティアに手を挙げました。と言っても、ほんのお手伝い。弱っている猫が餌場にこなくなると近所を捜索。発見したら他のボランティアさんと情報共有します。先日は、この情報共有のラインを読み違えて……子猫の保護だと思ったら、隣町を縄張りにしていた元ボス猫の捕獲。☝ボス時代の写真です世代交代で若いモンに跡目を譲ってからは元カノを頼り(?)うちの町内に舞い戻ったのだとか。老いたりと言えども、さすが元ボス。キャットサポーター🔰の私には手におえず、援軍を待って捕獲しようとしたのですが、結局取り逃がしてしまいました。どうか元気でいてほしい……
落花生を育てたあとにスナップエンドウの苗を植えてしまった。本当はサニーレタスが適しているのだとか。もう遅い。ここまで育ててしまったからには連作障害を体験すべし!と友人からのアドバイスあり(+_+)毎日見守っています。がんばれ!スナップエンドウ( `ー´)ノ気合だあ。
過去も 未来も 夕食の時間になって部屋に戻ってきた父は「いい湯だった」と頬を紅潮させ上機嫌だった。「実際おかしな話だよ。戦時中、ろくに勉強しとらん奴らがなあ。浩司が社長だろ、亮ちゃんが医者で、かっちゃんが校長だってさ。まったくいい加減なものだ」「子どもの頃の話でしょ。戦後は一生懸命勉強したのよ」「なあに、ちょっとばかし要領がいいだけさ」 そう言いながら、幼なじみの出世を喜んでいるのが口元の笑みでわかる。「それは、お父さんも一緒でしょ」 私が冷やかすと酒杯を置いて右手でゲンコツを作り、指の付け根の骨を左手で撫でた。「喧嘩の仕方は教わったなあ。ここで相手の顎を狙えよ……ってな」「やだ、怖い」「なあに、大人が狂っていた時代だ。正当防衛さ」 一瞬、浩司たちの顔が浮かんだ。子どもたちにも戦友という言葉が当てはまるのかもしれない。 翌朝、早く目が覚めた私は外が白むのを待って布団から出た。「お父さん、朝風呂行ってくるね」 布団の中から父が手を出して眼鏡を探っている。「お」とも「うん」とも判別のつかない声に送られて部屋を出た。 昨日は到着後すぐに「温泉は三回入ると良い効果があるの」と意気込んで『湯あみの島』という天然温泉の露天風呂を満喫した。 だが夕食後、不覚にも私は眠気に負けて、そのまま寝てしまったのだ。車の運転で疲れていた上、父の晩酌に付き合って飲みすぎたせいだ。 ホテルの大浴場に行くと早朝にも関わらず数人の先客あり、脱衣場で湯上りの体を拭いている。同性とは言え、胸の大きさ、お尻の形…とつい他人の裸体に目がいく。 そして、鏡に映る自分の姿を見て、(太ったかなあ)と腰に手を置いた。 部屋に戻ると、父が珍しく自分でお茶を淹れて飲んでいる。「今日から私、ダイエットするわ」「ははあ、良かったじゃないか。それに気が付いて」「色んな女の人の身体を見ていたら、そう思っただけよ」 悔し紛れに自分はまだ大丈夫だと言うと、父は、「そうか」と笑った。「でも、お尻は危険ね。自分でしっかり見られないもん。ちょっと反省かな」 私が、「ヒップアップ体操をしようかな」とふざけていると、父は「昨日の連中が家に遊びにくる理由が母親の『尻まくり』だったなあ」と思い出し笑いをする。「着物の裾をまくって野良仕事するのが幸子ばあちゃんは下手でなあ。尻まで全部まくるもんだから、悪ガキたちが面白がって寄ってくるんだ。これには参ったよ」「やあね。のぞき見じゃないの」「だから『尻まくるの、やめてくれ』って言ったさ。でもな、幸子ばあちゃんは相手が子どもだからって取り合わないんだ。ま、そのうち妹の君子がお腹の中で大きくなったせいかな。悪ガキども、来なくなったさ」「妊産婦の姿が神々しかったのかな。色気より生命の神秘を感じたとか」 という私も勝手な想像に、「それはどうかな。しかし、母は強い」 と父は笑った。私は、何故か急に幸子おばあちゃんに会いたくなった。「おじいちゃん、おばあちゃんともっと話をすればよかったな。今になって、もう遅いね。そうだ、今度一緒に永平寺へお参りに行こうか。菩提寺だったよね」 永平寺は宋代の形式の仏殿で、三世如来像が祀られている。本尊は現在仏の釈迦牟尼仏、その両脇に控えているのが過去阿弥陀仏と未来弥勒仏。過去を詫びるも、来世の幸福を願うも、現在の自分を見つめるとこから始めなくてはいけないということだろうか。 過去は現在で償える、未来は現在で変えることができるという教えは、仏教が日常生活に生きていたことを感じさせる。 現代は果たして現在が過去を償っているのか。現在が未来を変えていけるのか。それは今を生きる人間の手に委ねられている。
過去から呼ぶ声時折、太鼓や笛の音が風に乗って聞こえてくる。少し身体が冷えてきた。私は車に戻ろうと、隣を歩く父の顔をのぞきこんだ。すると、父は前を向いたまま小さくつぶやいた。「もう少し先に、地蔵寺があるんだ」 誰かに呼ばれたかのように歩き出す姿に、私は思わず父の腕をつかんだ。「明日、寄ろうよ。ほら、清子さんも帰りにまた来てって言ってたじゃない」「そうだな」 地蔵寺と聞いて、私は何故か怖かった。父にとって思い出さない方が安楽に過ごせることを呼び覚ましてしまうような、そんな気がするのだ。 再び目的の温泉地に向けて、暗い気持ちを振り払うように車を走らせた。「『水郷の里』って言われるだけあるね。街中に川が多いこと」蟹江川をはじめ、佐屋川、善太川、福田川、そして日光川と南北に流れている。 その晩、思い出の方から父の元に昔の仲間を寄こしてきた。「亮とかっちゃんも連れてきたぞ」 妹の清子から話を聞いてやってきた、と浩司が言うと次々に声がかかる。「おお、久しぶり。祭りにふらっと出かけたら、浩ちゃんから『勇作がナガシマに来とる』って聞いて飛んできたよ。元気そうだな」「前もって知らせてくれたら他の奴らも誘えたがなあ」 祭りで偶然出くわした面々が父を理由に日帰り温泉を楽しみにきたという流れのようだ。 私は、挨拶だけ交わすと土産物選びを口実に、その場を離れた。久しぶりの再会を楽しむ笑い声が私の背中を追いかけてくる。 振り返ると、そこには四人の無邪気な笑顔があった。 つづく
川の走る町「所々だが……昔の名残がある」 父が助手席のシートから背を浮かせて通り過ぎる景色を振り返る。「お父さんの昔話によく出てくる町よね。いつか行ってみたいって、興味はあったけど小さい頃は空襲の話が怖かった」「軍需工場の多い名古屋に近かったからな」 父は前を向いて座り直し、胸に当たるシートベルトの位置を直した。「暮らしやすそうな町ね」 私は話題を変えて、ハンドルを握り直した。父は思い出したように、「ちょっと、その先を左に曲がってくれるか」と言った。 言われた通りに左折して脇道に入ると、法被姿の子ども達が御輿の周りに集まっている。私はアクセルとブレーキペダルを交互に踏みながら、細い生活道路をゆっくりと進んだ。 前方で数人の母親らしき女性が「車が通るよ」と声を上げた。一斉に道路の端へ寄る子どもの背中で「祭」の文字が躍る。 突然、父が窓を開けて顔を出し、「おおい、きよちゃん」と大声を出したので、エプロン姿の女性が、幼子を抱きかかえて怪訝そうにこちらを見た。 父が「いとこの清子だ」と言うので車を一時停止させた。「あれえ、勇ちゃんじゃないの」と、清子は小走りで駆け寄ってくると、息を弾ませて「連絡してくれたらよかったのに。さっきまで兄もいたのよ」と、辺りを見渡した。父は車を降り、清子の腕の中でむずがる子どもをあやす。「長島温泉へ行く途中でね。懐かしくて、ちょっと寄ってみたんだ」「そう、帰りも寄ってちょうだい。兄にも言っとくから」「ああ、その時はまた連絡するよ」 清子は腰をかがめて運転席の私をのぞき込み、懐かしそうに笑いながら見送ってくれた。車をゆっくり発進させてバックミラーに目をやると、抱かれた子も同じように小さな手を振っている。「お孫さんの子守り、大変そうね」「昔から小さい子を世話するのが好きだったからなあ。お前も運転疲れただろう。少しどこかで休憩するか」父は窓の外に目をそらした。 川沿いの公園に駐車場を見つけ、そこに車を停めて休憩をとることにした。ふたり並んで周辺を散歩する。「学校を抜け出しては、ここでよく泳いだものだ」 澄みきった秋空の下、龍のようにうねりながら一筋の川が町の中を走っている。「おまわりさんの自転車を投げ入れたっていう、あの川なの?」「そんな話、覚えているのか。もっと川幅が広かったような気がするがなあ」 父は足元の石を蹴った。父が酒に酔うとよく疎開中の話になった。まだ空襲という言葉を知らない子どもたちが戦時下を生きていた頃の話は、何度聞いても私の心をわくわくさせた。
ツワブキ 病院の入り口で立ち止まりマフラーと手袋を外す。検温と消毒。36.3とデジタル表示されて自動ドアが開いた。5階までエレベーターを使いナースステーションに向かう。 この病棟のナースステーションは看護師の姿が外から見えない。まさに詰所といったところだと、いつも思う。多分歩ける患者がいないので、ナースステーションに用があって来るのは患者の家族か面会者くらいだからだろう。備え付けの呼び鈴を鳴らすと奥から男性の看護師が出てきた。見慣れない人だった。「すみません。岡田勇作の家族ですが、舌ブラシと洗口液を持ってきました」「あ、岡田さんね…ちょっとお待ちください。確認してきます」 そう言って再び奥の部屋へ消えると、他のスタッフに私が来たことを伝えているのが聞こえた。やはり新入りの看護師のようだ。以前なら、必要なものを直接病室へ持ち込むことができたので父に会うことができたのに、コロナ禍ではそれができない。足りないものは看護師から連絡をもらって預けることになっている。しばらく待っていると、顔見知りの介護士が声をかけてくれた。「あ、香織さん。お父さんねえ、最近何も食べたくないって言って困ってるのよ。うちへ帰りたいって、そればっかり」 Tシャツにビニールの使い捨てエプロンをつけた介護士は、相変わらずの早口だ。話している間も足踏みをしている。そして、さっきの看護師が戻ってくると、軽く会釈をして去っていった。 父は、介護施設に入所していたが、寝たきりの生活が続くうちに肺炎で入退院を繰り返すようになった。幾度も生死の間を行き来しながら、今は中心静脈栄養で命を繋いでいる。『食べなくて困っている』と介護士が言ったのは、食事訓練用のゼリーやプリンのことだ。 コロナ感染症蔓延という厄介な状況の中では例え自力で食べられるようになっても一時帰宅は難しいだろう。父の半生は病気との戦いだったが、それでも八七才まで生きている。 (今年もあとわずか…か) 帰り道、バスの車窓から何気なく外の景色に目をやると、中央分離帯の柵周辺に黄色い花が咲いている。(ツワブキ、こんな身近にあったんだ) ふと古い記憶がよみがえる。もう30年以上も前のこと、父の疎開先をふたりで旅したことがあった。 (つづく)