持病について | 1型糖尿病かぴこのやわらか日記

1型糖尿病かぴこのやわらか日記

1型糖尿病の日々の記録を患者目線でやわらかに綴っています。
1型糖尿病合併妊娠の経過も書いています。
リブレ、インスリンポンプ(ミニメド、メディセーフウィズ)、インスリンペン…様々なものを使ってきました。

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次は私の病気の経過についてです。


実は私が持っている病気は2つあります。

1型糖尿病と右耳の真珠腫性中耳炎という病気です。


真珠腫性中耳炎で手術と再発を繰り返した結果、右耳はあまり聞こえなくなりました。

なので、電車の中とか周りの音が賑やかなところで右から話しかけてもらうと何も聞こえない!

相手にも申し訳ないし、ちょっと不便!

ですので、誰かといるときは左耳で聞きとるためにバレないようにその人の右側へ行くようにしています!
極力ナチュラルに!笑

できなかった時はフルパワーで空気と話の文脈を読みます笑笑

それでも無理な時は素直にもう一回聞かせてくださいってお願いをしています(>_<)

この耳のことに関してはこの工夫で生活できるので特に不便すぎるわけではないかなにっこり



次は1型糖尿病について。
発症から今現在までの流れを大まかに書きますねにっこり


9歳の誕生日を迎える少し前、なんとなくおかしい…と思い始めました。

とにかく喉が渇く、なぜだろう、気温が高いからかなあ…

そう思いながら一度にコップ3杯以上ゴクゴク飲み干していました。

飲んでも飲んでも喉が渇いて仕方なかったです。

学校に持っていく水筒は大事に飲んでも午前中のうちに空っぽ、休み時間は水道から水をゴクゴク飲む日々。

もちろん飲めば飲んだだけ、トイレが近くなるので、学校では休み時間はトイレのための時間だし、夜も寝るためというよりトイレのための時間。

一晩で8回くらいトイレに行っていました。

授業中居眠りしなかったのが奇跡…

あの時は水を飲むこととトイレのために生きてたと言っても過言ではない…笑


もちろん、親もおかしいと思っていたのですが、私が毎日笑顔で学校に行くし、体育も出来てしまうし、ご飯もしっかり食べてしまうし…

親には申し訳ないことをしました…
緊急で病院に連れて行くべきか判断がかなり難しかったと思うのです…

そんなこんなで一ヶ月くらいが過ぎ、事が動いたのは本当に急でした。


足が痒い…と思ってパジャマのズボンを捲り上げたら、両足の太もも前面に直結20cm以上ある大きな発疹ができていました。

子供ながらに「あ、これはただごとではない」と思いました。
親もそんな顔をしていました。

翌朝にはベッドから起き上がれなくなっていました。

その日、親に抱えられて病院に連れて行ってもらい、1型糖尿病と診断を受け入院生活が始まりました。


初めての血糖測定やインスリン注射では、自分の指に針を刺すという、当時の私にとっては意味不明の行為をしなければならない…のですが…

小児科病棟の看護師さんたちが本当に優しい!

運良く看護学校の学生さんが担当になってくださるし、またその方がとっても優しい!

さらに運良く、研修医の若くて優しい男性の先生が担当になって下さって学校の勉強も教えてもらえるし、病気のこともつきっきりで教えて下さる!!

みんなに褒められたくて1型糖尿病の勉強や注射の手技獲得を頑張りました笑笑

今思うと、入院生活をばっちり楽しんでいました笑

たくさんの人の優しさのおかげで私の病気とのお付き合いは笑顔でスタートできましたニコニコ

ほんと人に助けられてばかりです。



そんなこんなで一ヶ月で退院。

自宅に帰ってからは、母と二人三脚で頑張りました。

退院して帰宅早々、低血糖になり母と二人でパニックになって血糖値が上がるわけないブロッコリーを何故か食べたり、旅行の準備に夢中になっていたら重症低血糖になり階段から落ちたり…

今思うと、おいおい…って思うようなこともありましたが、中学生中盤までは比較的穏やかに過ごせていました。

はっきりとは覚えていませんが、HbA1cは7〜8%の間だったかなと思います。


事が変わったのは高校受験からでした。

受験のストレスと病気のせいで落とされたらどうしようという不安から、ひたすら勉強にかじりつき、血糖測定を蔑ろにしました。

その結果、HbA1cは9%後半まで上昇。

高校受験が終わってからは一時改善しましたが、朝から夜までひたすら勉強!!という校風とスケジュールに完全に勉強のことしか考えられなくなり、HbA1cは9%台に戻りました…

一点集中のアホな子です…体は一つしかないのにね…何やってるんだか…無気力


私の病気に対する意識が変わったのは大学2年生の時です。

小児科から内科へ転科することになり、主治医の先生が変わって、とある男性医師の方になりました。

その先生はご自身も1型糖尿病をお持ちでした。

お忙しいのに、私の病気に対する思い、考えをじっくり聞いてくださった。私がこうしたらもっと良くなるのでは?と思ったことは話を聞いた上でトライさせてくださった。

「病気=面倒くさいもの」と思っていた私はかなり衝撃を受けたのを覚えています。

病気と向き合って楽しいと思えたことは、発症して入院した9歳の時以来、一度もなかったからです。

この先生のおかげでHbA1cは9%→6%台まで改善。

体も楽になり、体重は10kg近く痩せました。

その先生がアメリカの医療機関でお勤めすることになったので、主治医がバトンタッチ。

その医師が今の主治医の先生です。

今の先生も本当にいい先生です。気さくで丁寧に話を聞いて下さいます。

それでいて、意見もはっきり言って下さる!

これからもよろしくお願いします、先生…!

今の先生は私が就職してから血糖コントロールが悪化した時期に丁寧に寄り添って下さいました。

多忙な仕事とストレスでHbA1c9%に逆戻りして網膜症になったりしましたが、自分の体を守るために転職をしました。

時間に余裕ができ、仕事中も血糖値を測れるようになったので、インスリンの単位を考え直したり、血糖値の変動を観察して、現在HbA1c5.8%まで落とせました。



ここまで発症してから今日までの流れをつらつらと書き連ねてしまいましたが、治療に関しても書きたいと思います。

発症してから高校2年生くらいまでインスリンは持続型と超速攻型のペンを使っていました。

それ以降はずっとインスリンポンプです。

血糖測定は指先で採血して行うタイプのものを使っていましたが、就職してからはフリースタイルリブレというものに変えました。

このリブレがとにかく画期的!

これなしでは私の1型ライフはガタガタになってしまいます…
(ベーサルやボーラスなどポンプの実際の稼働状況やリブレについてはまた別の機会で書きたいと思います)




ここまで書いて思うことは、本当に人に恵まれたということ。

一人じゃとてもここまで来られなかったなあ…

血糖コントロールなんて改善しようとも思わなかったかもしれません。


たくさんの先生方、看護師さんたち、あの時の看護学生さん、病気の私に偏見なく接してくれた友人、そして病気になっても変わらず接してくれた家族、私の病気を知ってもそばに居続けてくれて結婚まで決めてくれた彼、病気を持っていると知っても結婚を許してくれて偏見なく優しく接して下さる彼のご家族。

本当にありがたいことです。

きっと私一人じゃ頑張れなかった。

私を助けてくれた人たちのためにも、1日でも健康で生きられるように病気と一緒に歩む日々です。

私も私を助けてくれたたくさんの人たちのように、誰かを少しでも助けられたらいいなあ…

このブログを見た方が、なんだか病気みたいだけど楽しそうに生きてるぞ?って雰囲気だけでも伝わったらいいなあ…

病気の診断を受けて落ち込んでいる方が、少しでも前向きになれるような助けができたらいいなあ…


今回もダラダラと書いてしまいました驚き

纏めたくても書きたいことがどんどん出てきてしまう…読みにくい記事ですみません…

少しずつでも上達したい…!

これからもゆっくり続けて、少しずつレベルアップ出来ればなと思います!