先日 お天気が良いので
カブで
仙台市泉区の「賀茂神社」に寄ってきましたよ
私が覚えている賀茂神社は
約40年前の姿で
その代わり様に
とてもびっくりしてしました
いつの間にか
泉区を代表するお社になっています
境内も広く
周辺の住所が
「加茂(団地)」や「糺(ただす)」と呼ばれています
七北田川を
京都の鴨川に模しているようです
拝殿の前に立つと
センサーで雅楽が
しめやかに流れます
…サービス過剰かな?
防犯も兼ねているようです
参道脇に
「八咫烏社」がつくられていました
…拝殿は写真を撮らない主義?なのですが
「ヤタガラス」は 別格です
(賀茂神社HPより)
本神社は元鹽竈神社に鎮座せられ、只州宮と称し元禄年間該神社造替の節、今の地に遷座され伊達藩の崇敬篤き社であった。元禄8年10月13日伊達綱村公の命により「只州の御社を別所に奉還すべき」とその社家鎌田信濃守に申しわたし11月13日には新しい御遷座の地を選ぶべく、御社くじを占し、現在の古内村を御社地と選定し、先ず下賀茂社の御社を元禄9年2月29日着工、同年9月23日鹽竈より正遷座の儀を行い、「御祖(みおや)神社」として奉斎した。同年10月14日上賀茂社の棟上げ、翌元禄10年正月29日には上賀茂社の正遷座の儀を行い「別雷(わけいかずち)神社」として奉斎する。神社所傳の御棟札は元禄9年(1696年)と翌10年(1697年)の物二体にして神社所有唯一の至寶である。
社殿は二柱並立南面し、屋根茅葺、向拝一問、切妻造一間社流造で石造亀腹の上に立つ。総体を京都の御本社の丹塗りにならい、紅殻塗りとし、正面両開き唐戸をつり、三方回縁、これに和称の宝珠柱と欄干をつけ、屋根箱棟の立引両紋彫刻は伊達家の造営を示し、向拝の虹梁上には下賀茂神社には雌鶏、上賀茂神社には雄鶏の彫刻を入れた蟇股を上げ、切妻破風は虹梁太瓶束式で左右に雄大な唐草模様の彫刻をつけ、一部補修の他は旧態を残し、江戸中期の堅実な作風を示した県内稀に見る建築である。
…
陰陽道では
「名は呪である」と言われます
現代科学とは
「物質や現象を分類して名称をつけること」です
その手法に違いがあるかもしれませんが
本質的には
「同じこと」です
私は
迷信の類や過度のスピリチャルに対して
苦手意識や嫌悪感さえがあります
「呪」とは
「見えない何かに名前をつけて理解すること」です
私の本名やハンドルネーム(アジスキ)は
賀茂大神(かものおおかみ)につながります
畏れ多く
有難いことです
今日も幸せ!