大分縣護国神社の後、西寒田神社(ささむたじんじゃ)へ参拝しました。
ちなみにこちらの神社もカーナビの案内で行ってみると、神社の北側の住宅街の狭い道を案内され困りました。
寒田川(そうだがわ: こちらも読めませんね)沿いの道を案内してくれれば良いものを...。
その寒田川(通称 みそぎ川)にかかる県指定文化財の萬年橋を渡ります。
橋を渡った先に鳥居があります。
鳥居横に観音堂があります。
神仏習合の発祥である宇佐神宮のお膝元?のためでしょうか。
鳥居をくぐると、左手には厳島神社, 神楽殿。
右手には、合併社(御星社, 保食社, 龍王社, 貴船社, 歳神社, 愛宕社, 高尾社, 金刀比羅社, 天満社, 竹内社, 九一郎社)、鬼の歯形石などがあります。
鬼の歯形石には以下のような謂れがあるようです。
「その昔、霊山には恐しい鬼が住んでいました。 鬼たちは麓に降りてきては村人に悪さばかりしていました。 ある時、天照大御神を祀る巫女の親子が本宮山にやって来て、毎日お祭りをしていました。 霊山に住む鬼たちにとって、祭りの音は嫌な音でした。 鬼は親子を取って食おうとしましたが、母親が霊山から本宮山まで、一晩で橋をかけられたら食べられましょうと無理難題の約束をさせました。 ところが鬼たちは、一晩で橋を完成させかけたため、あわてた親子は手ミイを叩き、鶏の鳴きまねをしました。 すると鬼たちは朝が来たと思い残念がって歯で石を噛み投げました。 そして鬼たちは霊山から居なくなってしまいました。 この歯型石は、その時の石とされています。」(西寒田神社ホームページより)
階段を上がると拝殿~本殿ですが、階段左右には東回廊, 西回廊(本殿~拝殿にはつながっていない)があります。
写真は撮り損ねました。
主祭神:月読尊(心の神、精神安定の神), 西寒多大神 (天照皇大御神), 天忍穂耳命
祭神:応神天皇, 神功皇后, 武内宿禰
神功皇后が朝鮮出兵から戻り、西寒多山(現在の本宮山)においでになった際に周囲の山をご覧になり、山に1本の白旗を立てられました。
後に人々がその場所を聖地として崇めるようになり、勅許を得た武内宿禰が応神9年に祠を建立。
7世紀には藤原鎌足が豊前に来た際に西寒多神社に参拝、社殿を改修し、太刀と八幡舞面を奉納。
鎌倉時代の大友家の初代当主能直を始めとし、歴代大友氏の尊崇を集め、1408年に第10代大友新世が現在の地に遷宮し、元の神社を奥宮として、山の名も本宮山と改められました。
拝殿~本殿の横には、市指定文化財、校倉造の神庫があります。
宝物として、大友宗麟の印、信長, 秀吉, 家康の古文書を所蔵とのことですが、神庫に納められているのでしょうか?
とすれば外見からはセキュリティーに若干の不安があるような?
天神社, 大分社のある場所からは創祀の地である奥宮への登拝道入り口があります。
御朱印は奥宮のものもあるのですが、今回は参拝していないのでいただきませんでした。
先日も書きましたが、「柞原八幡宮」と一ノ宮論争があったようで、こちらの御朱印にも「豊後一宮」とあります。
奥宮へも参拝へ行こうかと思ったのですが、「奥宮までどのくらいですか?」と社務所の方に伺ったところ「往復で数時間かかりますよ」とのことでしたので、今回は諦めました。
調べると、奥宮まで6kmほどのようです。
車でも近くまで行ける道があるようですが、ネットで見ると道のりはかなり狭く厳しいようです。
奥宮までの参道は、森林の中を歩くことで健康維持などを達成しようというセラピーロードに指定されているようですし、コロナ収束の後に次回は気合を入れて奥宮参拝にも行きます!
萬年橋の横には樹齢約450年のふじ(市指定名木)の藤棚がありますので、参拝はタイミングが合えば藤棚の見頃の時期(本来は今頃?)がいいですね。
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