大分縣護国神社【大分県大分市大字牧】 | 酒と神社とテクノと私

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呑んだ日本酒、参拝した神社、テクノをはじめとする様々な気になった音楽の紹介です。
なかなか県外へ出られないので、熊本県外の神社への参拝へ行けません。

昨年の大分県の神社参拝シリーズです。

 

大分市中央部の松栄山に鎮座する大分縣護国神社に参拝して来ました。

多くの護国神社に参拝したわけではありませんが「護国神社は広々として気持ちが良い...」と勝手な印象を持っているので、梅と桜の名所として知られる松栄山に鎮座するこちらは、他の護国神社とは雰囲気が異なります。

 

 

一の鳥居から入ると、山の中の参道は散策路としてもとても気持ちがいいです。

 

参道の森には神池があり鯉が泳いでいます。

参道の途中には、西南の役の際に殉職された警察官の墓地(103柱)もあります。

二の鳥居へ続く階段を登ると、森を抜けます。

 

 

三の鳥居、神門があります。

神門から入ると、言霊記念館(御祭神が残された遺書や手紙を掲示)や照今殿(参拝者の休憩や、ご遺族, 崇敬者の会議などに使用)があります。

 

その中には奉納された戦闘機や戦艦の模型が多く展示されており、そのスジの方々も見て楽しめそうです。

 

他県の護国神社でも見られますが、母の像や特攻勇士顕彰碑などもあります。

11/1~12に開催された菊花展で展示されていた菊を残してあるのでしょうか?参道や拝殿前には菊の花が飾られ、七五三のお祝いで参拝のご家族も多く見受けられました。

 

 

分県初代県令(県知事)が、国家に尊い命を捧げた人々の御霊を祀るために、明治8年に「招魂社」を創建したのが始まりで、祭神として、明治維新で戦死した勤皇の志士, 明治の佐賀の乱, 台湾出兵の戦死者, その後の西南の役, 日清戦争, 日露戦争, 太平洋戦争で戦没された約4万4千柱を祀り、終戦後は殉職された自衛官が合祀されています。

昭和14年に「招魂社」から「大分縣護国神社」と改称し、戦後の昭和22年に「大分縣護国神社」から「豊霊宮」と改称するも、日本の主権が回復した昭和27年に再度「大分縣護国神社」へ改称しています。

 

境内には、大きさは高さ18m, 重さ35.5tの日本一の鉄製大門松が飾られていました。

毎年11月下旬からお目見えするようです。

また、同じく日本一の大きさの破魔矢(高さ18.8m)と熊手(高さ12m)も12月上旬に設置されるそうですが、11月に参拝したのでこちらはまだ飾ってなかったようです。

大門松は年明けてしばらく、破魔矢と熊手は数ヶ月の間飾られているようです。

(大分縣護国神社のホームページより転載)

駐車場を挟んで神門の向かい、大門松の近くには、創建当時に本殿があった場所に招魂齋庭があったようですが気づきませんでした。


ちなみに私の車のナビでは、Googleマップ上「大分舞鶴高校第二グラウンド」表示のある住宅街付近へ案内され「目的地周辺です♪」と言われ、朝見八幡神社に引き続き「ここは何処よムカムカ?」と困りましたよショボーン

 

 

おまけ

お昼に、護国神社近くの「王府」で名物らしいニラ豚定食を食べて来ました。

炒めるだけ?でできるので注文から速攻で出てきます。

ニラとキャベツと豚肉に絡む濃い甘辛味のタレでご飯が進みます。

美味しかったです。

こちらもコロナ禍で現在営業はどうなっているのでしょう?

 

 

 

 

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