自分史 銀行員時代その2 出社拒否体験 No1
私は会社員(メガバンク)時代、出社拒否を経験しています。
当時の年齢は32歳、中途採用で入った銀行勤めも4年程たち軌道に
のりはじめた頃でした。
10人くらいのチームリーダーとしてシステム開発プロジェクトを
複数抱えて多忙な毎日を過ごしていました。
出社拒否のきっかけは、「恐れ」からくる「不安」でした。
そしてその「不安」が「落ち込み状態」を生み、「不眠」にも
なり さらにそれが「不安」を増幅していくという悪循環に
なっていきました。
では、何を「恐れ」ていたのか?
今考えると「上司や同僚など他人から低い評価をうけ、軽蔑され
ること」を恐れていたんだと思います。
他人からどう思われるかに強く強くフォーカスをしていました。
- プロジェクトの進捗が遅れている。
- 会議が活性化せず運営役として力不足である。
- 部下の管理ができていない。
- 新しいアイデアを提案していない。
上にあげた様なことを他人から言われることを恐れていました。
上のことを少しでも言われると、自分が厳しく責められている
という実感を強く感じていました。
そして、自分では「上司、同僚、部下 みんなから責められない
様に先に手を打とう打とうとしてもがいていました。」
今、考えると不思議です。 そんなことできっこないのに・・・
周りだってそんなにこなしている人などいないのに・・・
そもそも他人の評価を自分の側がコントロールできるはずが無いし
、指摘されたとしてそれをどう受け止めるかは自分の問題ですから
ね。
「不安」が増幅しはじめると、どんどん視野が狭くなり 恐らく
同僚のアドバイスやフォローも耳に入っていなくなっていったん
だと思います。
目に見えぬ「他人の評価」をモンスターの様に感じ、恐れていま
した。
もし、その当時の悪循環に入りかけた自分に語りかけることが
できたなら
「君の気持ちは分る。でも少しだけ耳を貸してほしい。責められ
ても軽蔑されてもいいじゃないか? 君が君のできる範囲での
ベストを尽くしていると胸をはって凛としていればいいさ・・」
とでも言ってあげたいと思います。
その時の現実は、悪循環にはまっていきある朝 出社拒否と
いう現実が自分に訪れてしまいました。
(続きは 別稿で・・・)
当時の年齢は32歳、中途採用で入った銀行勤めも4年程たち軌道に
のりはじめた頃でした。
10人くらいのチームリーダーとしてシステム開発プロジェクトを
複数抱えて多忙な毎日を過ごしていました。
出社拒否のきっかけは、「恐れ」からくる「不安」でした。
そしてその「不安」が「落ち込み状態」を生み、「不眠」にも
なり さらにそれが「不安」を増幅していくという悪循環に
なっていきました。
では、何を「恐れ」ていたのか?
今考えると「上司や同僚など他人から低い評価をうけ、軽蔑され
ること」を恐れていたんだと思います。
他人からどう思われるかに強く強くフォーカスをしていました。
- プロジェクトの進捗が遅れている。
- 会議が活性化せず運営役として力不足である。
- 部下の管理ができていない。
- 新しいアイデアを提案していない。
上にあげた様なことを他人から言われることを恐れていました。
上のことを少しでも言われると、自分が厳しく責められている
という実感を強く感じていました。
そして、自分では「上司、同僚、部下 みんなから責められない
様に先に手を打とう打とうとしてもがいていました。」
今、考えると不思議です。 そんなことできっこないのに・・・
周りだってそんなにこなしている人などいないのに・・・
そもそも他人の評価を自分の側がコントロールできるはずが無いし
、指摘されたとしてそれをどう受け止めるかは自分の問題ですから
ね。
「不安」が増幅しはじめると、どんどん視野が狭くなり 恐らく
同僚のアドバイスやフォローも耳に入っていなくなっていったん
だと思います。
目に見えぬ「他人の評価」をモンスターの様に感じ、恐れていま
した。
もし、その当時の悪循環に入りかけた自分に語りかけることが
できたなら
「君の気持ちは分る。でも少しだけ耳を貸してほしい。責められ
ても軽蔑されてもいいじゃないか? 君が君のできる範囲での
ベストを尽くしていると胸をはって凛としていればいいさ・・」
とでも言ってあげたいと思います。
その時の現実は、悪循環にはまっていきある朝 出社拒否と
いう現実が自分に訪れてしまいました。
(続きは 別稿で・・・)