(アルフレッド・アドラー)




人生の意味とは何でしょう?


1900年代を生きたパーソナリティ理論家(医師)・アルフレッド・アドラーは「人生の意味」について質問された時、「一般的な人生の意味というものはない」と答えたといいます。

人生には一般論として語れるような定式化された意味というものはなく、それは各人が意味づけるもの(意味を与えるもの)―と考えていたようです。


一見、無意味とも思える自分の人生―そこに意味を与えるのは自分自身である―とアドラーは語っています。

アドラーは人間の人生を「最初からフィナーレを想定しながら構想されるドラマのようなものである」としました。

人間のパーソナリティの構造(性格)を、アドラーは「人生のスタイル(style of life[ライフスタイル] 」と呼び、「よりうまくいくライフスタイルを築き上げるために、自分のやり方を変える力を誰もが持っているもの」、だと語っています。



1920年代以降の時期、アルフレッド・ファラウ(後年、哲学博士でありニューヨーク・アルフレッド・アドラー研究所心理学部長兼副所長・ウイーン大学名誉教授となった)人物はアドラーとの思い出を次のように語っています。


「アドラーは楽観論の持ち主でしたが、それは、〈全体としての生〉を絶対的に信頼していたからでした。いかなる人であれ、人生にはその人の今現在の存在を超えた意味がある、というのが、アドラーの揺るぎなき信念でありました。」(ファラウの回想記録より)



後年にアドラー自身が遠まわしに言っていますが、彼は自分の人生をきっかけにして、アドラーは重要な理論を構築することができました。

後にアドラーは二〇世紀を代表する社会科学者・心理学派の創始者となりますが、後の彼は共同体感覚の概念のもつ重要性を、自分の人生を例にとって説明しました。

自分自身について知ることが、何にもまして理論の鍵であったことを知っていました。


「重要だったのは、私の経験それ自体ではなかった。むしろ、私がどのようにしてそれを判断し、自分のものにしたかが重要である」(自らのくる病の経験について・Bottome, Alfred Adlerより)


「意味は状況によって決定されるのではない。われわれが、状況に与える意味によって自らを決定するのである」What life could mean to youより)



アドラーは三つの重要な人生のライフタスク(人生の課題)を伝えました。

すなわち、愛(家族や愛する人々)のタスク、交友(友人や仲間)のタスク、そして仕事のタスクです。

そしてアドラーは、それまでのライフスタイルに代えて、新しいライフスタイルによって生き直すことができると思える援助をすることを「勇気づけ」とし、次のように言及していました。


「私は自分に価値があると思う時にだけ、勇気を持てる」

「そして、私に価値があると思えるのは、私の行動が共同体にとって有益である時だけである」Adler Speaks


ともかく課題が与えられれば、できることから少しづつでも始めていくしかない。

失敗を恐れてはじめから課題に取り組まないより、はるかに望ましい。失敗することなしには、何も学べない―。

アドラーはこれを「不完全である勇気」「失敗する勇気」と呼びました。(Adler Speaks


人は他者との関係を離れては生きられず、他者と共生しなければならないと、アドラーは考えました。

「どのような人間にも存在する価値はあり、その存在があなたに教えてくれるものがある」-

医師として精神疾患(神経症患者)を診てきたアドラーは「共同体感覚」という概念を唱えます。



一九三七年、アドラーは講演旅行の途中、スコットアイランドのアバディーンで心臓発作により死去しました。


アドラーはしばしば「生きる喜び」という言葉を使っていました。

生きることは大変であるが、深刻にならず生きることに喜びを感じることを説いていました。

「自信があり、人生の課題と対決するまでになった人は、焦燥したりしない」

生きていく上では、先のことも見据えながら、同時に「今この瞬間」に集中すること。

現実がどうであれ理想を見失わないということと、今ここに生きることを重視すること。

目先の事にとらわれてしまうと、今、直面している困難がすべてであり、それが解決しなければ一歩も先に進めないような思いにかられてしまう状況に陥ることがある。

そんなとき、理想(究極的な目標)として、「導きの星」がそこにあれば、それに目を向けている限りは迷うことはない―と語りました。



アドラーの友人であり、作家であったフィリス・ボトムは次のように伝えています。


「心理学の歴史において、人間の性格を解放し自由にしたものが三つあります。それをわたしは、三つの偉大なAと呼んでいます。すなわち、アリストテレス、聖トマス・アクイナス、そしてアドラーです」