日本酒容器の変遷
樽の時代
今では、
パックやアルミ缶など多種多様な容器に詰められていますが、それ以前は 日本酒容器といえば 四斗樽 に詰められていたのです!ココでは、日本酒容器の変遷 江戸時代は樽の時代だったを案内したいと思います!
灘:沢の鶴
清酒が誕生して約400年の間、酒の容器は様々なものが登場してきました。
江戸時代は杉材で作られた酒樽が主流でした。
その後・・・
明治時代に西洋の技術や文化が流入し
「瓶(びん)」が登場します!
参考記事:日本酒容器の変遷 瓶の時代!
瓶の普及は、瓶自体の多様化を促し容器の文化を彩りました。
昭和以降、金属を使った缶詰や紙パックの容器が登場してきます。
令和の今でも、
日本酒が詰められている酒樽は杉材が用いられています。
それは、江戸時代から変わりません!
容量も 四斗樽 と呼ばれている酒樽が一般的でした。
西宮 をはじめ 灘 や 伊丹 の地では、奈良県吉野産の杉材が伝統的に使われています!
樽丸
江戸時代は樽の時代
お酒とは、清酒のこと。酒樽は木製で戦国時代からあった!
江戸時代からは 杉の樽 で、それ以前は 柳の木の樽でした!
柳の木は、水分をはじくなど 一番の欠点は、重いこと。
大きい樽には 不向きということだけでなく、根本的に側板をピタッと合わせられるほどの技術が当時はなく、未熟で道具も揃っていなかったことが その大きな理由として言われています。その後、杉の樽 に変わる時には、鉋(かんな)などの道具が良くなり技術も進歩し 杉の樽 が良いと判断されるようになった!
伊丹に西宮や灘から杉がたくさんある所として、奈良・吉野の吉野杉に注視されるようになった!
吉野杉は丸太で運ばれるわけではなく。樽を作る前工程である 板 にする作業を吉野で行い。この板を束にして 箍(たが)で括って運ばれてくるのである。この括られたものを、樽丸(たるまる)と言う。板の詰め合わせである樽丸が西宮に運ばれていたのです。現在も樽丸は作られています。運ばれた樽丸は、西宮の樽屋が組み立てていくという流れになります!
樽丸 箍括り
樽丸の杉板資材に、こだわりが垣間見える。
杉の板であるが、ただの杉の板ではない!
使用されるのは希少部位を使った「甲付(こうつき)」と呼ばれるものなのです!
酒にもこだわるが、樽にもこだわりがあったのである!
江戸に送り届ける品として、少しでも良いものでグレードの高いもので、評判を良くするためにこだわったという訳なのである!
そういう努力もあって 上方から下ってくる酒 は飛ぶように売れたのである!
上方 → 江戸
(良いお酒=甲付樽で!)
白鹿資料館に 樽の価格が残されていた。
年月は定かではないが・・・
20樽で、
・甲付 50~60円 → 希少部位
・赤味 32~38円 → 一般部位
甲付とはどんなものか、
頭の中で描く絵を案内しますので想像してみてください。
まず、手のひらサイズの円を描いてください。
そしてその中に、こぶしぐらいの円を描いてください。中の円を塗りつぶしてください。
二重になった円で中が塗りつぶされている絵になっていると思います。
これが杉の断面図です。そう、バームクーヘンのようです(笑
この円の中の塗りつぶされた所が、赤味となります。
そしてその外側の円が白味部分です。
希少部位は、この赤味と白味の境部分が「甲付」と呼ばれているところなのです。
(魚の部位なら大トロかな)
如何でしょうか、一本の木からあまりとれないことがお分かりですね。
甲付で樽にすると、内側でお酒に接した部分が赤味で外側が白味となります。
特徴として・・・
木の灰汁(アク)が少なく、杉の香りが大変よく、お酒に非常にベストなマッチングとなります。
一言で言うなら「酒樽ならではの木」ということなんですね。
樽は漏れてはいけない
→ これは酒樽の使命です!
1800年代 料理文化も向上し 酒樽の需要が拡大した。
上方から江戸へ 1シーズン 100万樽ものお酒を送りました。
時代は、とにかくお酒が売れる!というか、お酒しかなかったのです。
同時に、奈良の杉も売れました!
江戸時代 とにかく 樽屋さんは大忙しです。
樽廻船
そして、この江戸に行った樽はどうなったか?
樽は、再利用されるのです。
樽廻船で持っていった樽は帰ってこないのです。
上方から → 江戸へ、ワンウェイ便です。
ここで登場するのが、空樽を集める業者「空樽問屋」が別に売るのです。
江戸周辺の酒屋へも売りますが、そのほとんどが千葉方面(野田・銚子)の醤油屋さんへ流れます。
新樽よりも酒樽の中古のほうが価格も抑えられ味が良くなるらしいといわれていました。
酒樽の空樽は、江戸 → 千葉に流れたのでした。
まとめ:
とにかく 江戸時代は樽の時代だった!
江戸250年と明治50年と考えると、300年ぐらいは樽の時代でした。
その後、明治時代に西洋の文化が流れ → 瓶(びん)へと移行していくことになる。
明治時代も樽の時代が続いたが、後期に瓶の時代に入る。大正15年頃、瓶を扱う業者が増加、樽の時代が細くなりました。
今では、
樽の文化面を保存していく動きが大切になってきました。
各蔵元では 蔵開き や 酒祭り などで、菰巻きや鏡開きなど清酒容器のルーツである酒樽にスポットをあてたイベントなどを文化面を通じて交流を図っています。灘の蔵元 菊正宗では2018年に酒樽を製造するファクトリーを設置しました。また、伏見の月桂冠では記念館にて菰巻き実演などの酒文化そのものを伝えようとした動きにも注目したいところです!
菊正宗:ファクトリー入口!
・・・乾杯!