日本酒の容器
ココでは、
日本酒容器の酒樽から瓶への変遷と (正)マークとは何ぞや を案内したいと思います!
瓶詰めと樽詰めを行っています!
酒樽から
瓶に移行した訳ですが 直ぐ瓶にならなかったようです。
江戸時代は 樽の時代 でした。
酒樽からの転換時期は、明治時代でした。
明治維新後、西洋の技術や文化が どんどん流入し 社会のあらゆるものが変化をもたらしました。
そんな中、日本酒容器もその例外ではありませんでした。
松尾大社 こも樽
ガラスは世界的にみるとヨーロッパでは、紀元前からあったといわれています。
日本では 江戸時代ガラスは限られた場所でしかありませんでした。
南蛮ものは少なく、陶磁器のように沢山なかったのです。
幕末に黒船がやってきて異人が飲み干した瓶を拾い、珍しそうにしていたほど 江戸時代 では難しい存在でした。
明治時代になり、
ガラスを作っていこうという動きが民間でもあり、
西洋人のもとビールを作り、樽詰めだけではなく 瓶 を作り、ワインを作るなら 瓶 でという流れになっていったのです。
それでもまだ
明治中頃は酒樽の時代が続いていました。
明治30年頃になると 清酒 でも 瓶に詰めようという動きで輸出も行っていたそうです。
外国人 向けには、酒樽では馴染みがないため 瓶 に入れようとなった経緯があります。
清酒の瓶化は、
はじめは陶磁器だったのです!
欠点として 中味 が見えない、しかしガラスの瓶なら見えるということで、清酒を入れるようになりました!
灘の酒蔵資料館に白磁器のもの、透明のものが確認できます。
しかし、当時はそもそもガラスを作る会社が無かったのです。
酒蔵としては、伏見の月桂冠が早く、灘では白鶴、桜正宗が早かったようです。
明治40年頃 ガラス瓶としての色は 水色(透明)と茶色があり、容量は、一升瓶、五合瓶など五種類ありました。
洋酒の瓶が先行していたので 清酒瓶 の種類もそれにならってありました。このとき海外出荷もしていました。
また、酒樽の材料である木材が関東大震災の復興のため木材需要が高まったこともあり、酒樽の樽材の減少だけでなく 酒問屋でも水増しや安価な酒でのブレンドものが横行した経緯が樽の欠点としてあありました。ところが、瓶なら 蔵元直詰め であるから水増しやブレンド問題は防げるメリットもありました。時代は 自然と 瓶 の需要へと広がっていきました。
その後・・・
瓶の容量も政府が世界基準に合し統一しました。
それが、リットル瓶で1Lとか2L、300㎖瓶で、お上がリットル瓶に変更指示を出しました。そして、戦後の昭和31年に 丸正(丸に正)まるしょう印字を義務付けました。これは政府が認めた、ちゃんと1800㎖入ってます!
「一升瓶は 同じ規格でここまでキチッと入れる」を 決められました。
丸正印は、
現在の1800㎖の瓶底にデザインされています!
丸正マークと1800mlの印字が確認できます!
そして見た目の瓶や変わった瓶が出始めました。
ポケット瓶など洋酒風に凝った瓶など、昭和10年代に多用されましたが、戦争によって材料が取れなくなって中断されました。
また、瓶の栓(せん)においても経過があり歴史を感じられます!
最初は瓶の口に針金があって、カチッと閉じるタイプのものとか、王冠がブリキだったものなどがありました。
ブリキ材は 戦争でブリキの使用量が制限されました。
ブリキは、王冠にデザインを施せるメリットがありました。その後 王冠にコルク栓のものが普及しました。
最近では、
瓶そのものに浮彫デザインを施しているものや、飲み切ったあと他用できる瓶など、瓶の文化も多様化しています。
談:
日本酒の容器の変遷、酒樽から瓶化へは時代が後押しした経緯が感じられます。
丸正マークは、よーく注意をして見てみないとその印字に気が付きません。
と、いうよりも そもそも一升瓶を扱っている酒屋さんでも そのマークは知らないのではないでしょうか!
丸正マークを 肴に美味しいお酒でも飲んでください!
・・・乾杯!