おっす。のいさんです。
ちょいひさしぶりの投稿ですね。
自粛期間中めっちゃお家の中で活動しまくってたけど、
その勢いを緩めることなく、仕事の方も再開してリア充してきたなーって感じですね。
…ところでアメブロの方あんまいじってないけど、ネタがな。どうしような。
ストックできるとか連載できるとかそういうタイプのネタが欲しい。
そういやあんまり枯渇しないテーマをこのブログを通じて展開してこなかったわ
なんてふと思いました。
そこでどうするか。 と思って身の回りを見てみると
peingとかいうのが目に留まった。
これ、質問箱といえばいいか。ここで展開しているんだけど。
https://peing.net/ja/ciphlex_no13
匿名で聞けちゃう!CiphleX(のい/No.13)さんの質問箱です
まぁ知らん人のためにまとめると、インタビュワーやask.fmみたいなやつですわ。
ユーザーさんから質問をいただいて、その質問に答えていく…というほんわか空間。
だが、のいさんの返答は場合によって全然ほんわかしてませんけど。
経済活動や自己啓発を絡めることに中軸を置いた、パワーイズマネー アンドマネーイズパワーな
有用性の高さに特化した論者が多くいらっしゃいますが(最近でいえばYoutube大学とかすごいよね)
それっぽい感じというか、経済にとどまらず森羅万象への平らかな理解に重きを置いた心理学、哲学寄りのそういうことを質問箱を通じていただいた質問でちょくちょく展開してますね。
まぁ個人的にQoL向上のためにストイックに生きようとしているけど、そのストイックさを大体そのままに…質問者さんのモノへの考え方の理解がより深まるように、
思うことをストレートに…そのまま…返答して…
…いや、それは無理でしょ。
いやね、本当に無理なんすよ。
本当は、これくらいの次元で返答したいなーって思うたりするんだけど、
こういう質問があるってことはこういう観点が欠落してて、ならこの質問には無理だなぁ…
なんて判断して、その人に合わせて返信を送ってるなんて側面が多少はあります。
といっても、それでじゃあ消化しきらず終わらせるのはもったいなくね?
って思ったりもするんですよね。
…なのでじゃあ。 こういう質問があったけど本当はこれくらいの次元で返したいねん。
この質問この観点がないから考えてほしいねん。そのうえでこちらはこれを返したいねん。
みたいなのをまとめた記事作ってもよくね?
と思ったので始めます。 なんかnoteで書くべきじゃね?って思ったりもしたけど、
まじめゆるりな感じの方がよくない?って思ったのでとりあえずこっちで展開してみようと思います。
ただ、次にもあるけど、一つの質問に対する質問を、一切手抜き割愛することなく回答することになるので、
1つの質問に対して1つの記事ってなると思う。少なくとも今回はそうだね。
後、この文章書いてると、感情論に対してズバズバなんだか理屈っぽいって言われそうな気もするんですけど、
…そうだよ? でも屁理屈並べるよかましじゃない。(?
というわけでさっそく~。
補足) 質問箱に飛んできて答えた質問原文ママではない可能性もあります。こういう質問が来たよってかんじ。
まぁ、返答履歴さかのぼればヒットするから気が向いたら探して。
Case.001 自分のこと好き?嫌い?
質問箱での回答:興味ない が回答なんだけど、好きか嫌いかのどっちかでなきゃいけないの?
ざっくりとした答えになってるよね。 これ、本当の回答は以下です。
ねー。この質問さ、好きの反対は嫌いってイメージが働いてなければ、
その二極論の返答要求は出なくない?
ん?何が言いたいかっていうとまぁ。
好きの反対って、嫌いじゃなくて無関心ですよね。
好きであるとは好きという感情がわくということですね。
ではその反対は、好きという感情がわかないってことですよね。
これは嫌いという意味と同義ですか? 完全に儀だと思います。 これ無関心じゃないですか。
同様に嫌いの反対も無関心です。
例えばあなたが仮にタピオカが好きだとします。(タピオカもだいぶ古いかもだけど
好きという気持ちが動機で食べたいって気持ちになったとします。
しかし、一過性の流行が落ち着き、気が付けばタピオカと距離を置くようになっていました。
この時、あなたはタピオカが嫌いになって見るのも嫌だ、食べたくないとなっていますか?
飽きたとか次の流行に関心が移ったとかそういう心情が働いているものでは?
…それ、嫌いではなく無関心っすよね。よろしくて?
好き嫌いという単語で一括りにしているなど風習や感覚故の対比関係が
そこには働いているものと思われますね。
そいつは往々にして正当化が働くものですね。
正当化 これはすなわち例外なく誤りの隠蔽に同義です。
本当に正しければ正当「化」する必要はありませんから。
正当性ある根拠が伴えば正当化はいらない。
感覚感情論に正当性を要求するのはモラルなどの側面においては、
確かな正当性を発揮するけど、数値や今回のケースみたいな発現において、
感情論を取り扱うのはちょっと…?
確かに好きとか嫌いとかは、感情ベースの想起ではあるけど、
こういった発現は、感情論と並べて扱うのは極めて危険な思い込みを生みかねない。
心理学、脳科学、ホルモンの研究が進化してきた今だからこそ、
この対比関係は成立しないとわかるんです。
可能であればものの考えからはそれこそ好き嫌い並べずに、
自分の中での定義をアップグレードした方がいいと思います。
さすがに考えすぎだとは思うけど、凄まじい勢いで心理学脳科学の一般化が進み、
コモンセンスとして浸透すれば…
その発想一つで老害認定されますからね。
ていうか、老害って言われる条件の一つがその
古い考えの押し付けってやつですし。
古い人間になりたくないならアップデートしましょうや。
さて、ここでもう一つ、この質問に対して
しっかり答え切れていない部分がありますよね。
なんで自分が好きでも嫌いでもなく無関心なの?
これ割と単純なくせにすらっと言ってしまうと、しっくりきづらいような気がする話だよ。
言ってしまえば、やりたいことや興味ある事、いろんなことに挑戦して
楽しく人生を謳歌していて、QoLをどんどん上げていってやべーわリア充だわって
やってるのがのいさんの現状なんですけど…
えっ? それなら自分のこと好きってことじゃないの?って思いそうっすよね。
そこがNOだから無関心なんです。 まぁこれをぬるりと説明していきます。
目の前のことにひたすら夢中であるなかで、
自分自身のステータスになんかいちいち目を向ける必要があるか?
まぁ、のいさん見てきた限り、大体の方はそこで自身に目を向けているんですよ。
要するに頑張っている自分をより大きく見せよう、誰かに評価してもらおう、褒めてもらおう、
その頑張りを通じて誰かとつながろう、などなど。
これは決して悪い事ではありません。むしろ良い事なのかもしれないなと思います。
まぁ、端的に言えば承認欲求が微塵でもあればここで自分に目が向くもんだと思います。
他者から見て自分はどう見えているか。
頑張っている自分を評価してくれる存在はどれだけいるか。
自分の頑張りはどれだけ周囲に影響を与えられているか。
個の頑張りを通じてどれだけの収益が出ているか。
収益分が努力の結果及び評価であり、信頼である。ではどこまで信頼の輪が広がっているか。
などなど、これ話せば話すほど、経済活動寄りの話になりますが。
はい、のいさんこのあたりの話が片っ端から隅っこまで全部どうでもいいってことなんすよ。
目の前の物事に向き合う。とにかく没頭する。誰からも評価されなくてもいい。
評価してくれたらしてくれたでうれしいけど、オプショナルな話であることに変わりない。
だってさ、評価あろうとなかろうと、やること変わらないじゃん。
評価がモチベに繋がりもっと頑張れるって、評価なしでは頑張れないってことじゃない?
それってのいさん的には何の有効性もない縛りプレイにしか聞こえないんだけど。
儲からなくでもいいって話? 部分的にそう。
儲かったらうれしいけど、儲からなくてもそれ以外のお金に直接かかわる事でも、
あれこれに尽力しているから、これもオプショナルなこと。
ただ、ワークスであることには変わりないので、アプローチによりお金が発生する内容を、
無償で提供するという考えであるかというのは筋違いだけどね。
ましてそれを他人からつつかれるのはもっと筋違い。乞食の発想。
しかしそれがものすごい跋扈してるのが現状というのは残念な話だけどね。
だからこそこの観点は重要だと思ってます。個人的でなく社会活動するならだれにとっても。
ちゃんとモノやモノの価値に理解があって、
対価がしっかり払えるとかを代表例に、モノに対し望ましいレスポンスを返してくれる方、
お客様であればみな神様 というわけではありません。神様といえるお客様が神様なのです。
まぁ、大半が神様ですけどね。少数ながら中にはいるじゃないですか。はい。
こういった文章を皆様に送り、首を縦に振ってくれる方と、
首をかしげてより良い意見、趣ある意見を投げかけてくれる方が神様なんですよ。
難癖付けて罵倒する方は要らない。大体は本人が難癖と自覚ないみたいだけど。
とね、でも本来儲かりたいなら相応の理由がない限り選んでる場合じゃないですよね。
でも、音楽は嗜んでなんぼです。あらゆる意味で嗜むに難い方からコンテンツへのアプローチ料金を頂くことこそ忍びない。
料金を頂かないということは提供しないということですよね。トライアルは除くけど。
もうね、あらゆる意味でつながってるんですよ。
今の活動を通じて自分が成長できているか、
その成長の姿やその中で想起したあれこれを、
皆さんと共有して皆さんにプラスに働きかけることができるか。
この辺りが中軸なんでして、
儲かるがその分みんなが曲聴いて楽しんでくれているに直結しているとこの上ないですわ。
儲かるかよりも、みんながのいさんの曲聴いて楽しんでくれるか。
要は絶対的にコンテンツ第一主義ですわ! って感じです。
まぁ、さっきも書いたけど、儲かったらうれしいけど、
儲からなくてもそれ以外のお金に直接かかわる事でも、
あれこれに尽力しているから、これもオプショナルなこと。
要は儲からなくても観点でやっていくのも、お金がないと無理っすよね。
財布事情やばいくて少しでもお金欲しいってなるとその所得の欲求は、
普通にいつも以上に、収益化可能なところにまで波及するでしょ。死活問題だし。
絶対的コンテンツ第一主義という一番大切にしたい前提のためには、
別のことで安定した収益を確保するか、そのコンテンツで安定収益を確保するかの二択で、
それ以外はないです。
まぁまぁ、そういうことを色々やってきてるってことですわ。
地盤がしっかりした状態で、こういう冒険に手を出してるから、
儲かっても儲かってなくてもはっきり言ってどうでもいいもん。
儲かるか儲からないかばっかに目が行って、
一番大事な制作を楽しむって要素が微塵でもおろそかになったら、
音楽やってる意味がねぇ。 それくらいのノリでのいさんは音楽やってるっすよ。
...はい、自分に関心がないってはなしでしたね。まとめよう。
要はのいさんは肉体はこういったアクションを行うための器として認知しており、
器を大切にすることこそ自己愛と結びつけることが適う見込みがあるかとは思われるが、
少なくとも一般的なイメージでの、自己を愛らしく可愛がる、
美点を並べるあるいはそういったことで自己満足にふける、そういったことに興味ない。
果てはそういったことを他者に要求したり、他者からそう思われることを望んだりすることも
まるで興味がない。
理由は、成長進化においてただ夢中である状態が最適なマインドセットではなく、
そのマインドセットの1要素として、学習や経済活動を行う上で、所属欲求あるいは所属欲求に
関連性のある欲求に対する依存状態からの解脱にあると定義しているため、
他人からどう思われたいとかそういった発想は、その定義を違反することになるため、
現時点では一切興味を持つ理由がない。
関連して、自己が好きであるかについても一切興味を持つ理由がない。
となるのです。
はい、これが省略なしの回答。
ところどころ省略はできるけどさ、
めっっっっっっっっっっっっっっっちゃ長くない?
質問箱でのやり取りって割とライトなんよ。
そんな空間でここまでのこと、書けんでしょ。
でも短縮すればある程度それっぽい回答はできる。
だからそれっぽい回答でとどめちゃってるなんて側面が割かしあるのよ。
わかるでしょ上の文章で察してよ。
てかそもそも質問箱って文字数上限2000文字なんよ。
上の回答何文字だよ?4000文字くらいいってるんじゃない?
時には文字数上限が足りませんね。
いや、足りたところでここまでぶっこんだやり取りは無理でしょ無理。
というわけで、ここまで長くなるかはわからないけど、
こんな感じで、質問箱で回答したはいいけど、
本当はこんな回答がしたいんだってネタがあれば、
こんな感じでテロテロ書いていこうと思います。
はい、お疲れさまでした。