久々に大塚駅前。
ここに行き来したのは多分20代最後のあたり。
仕事も広告で落ち着いてきたあたり、かな。
ずいぶん風景は変わった。
何で大塚に親しみ感じるのか?歩いて思い出した。
20代に大塚ジェルスホールて演劇公演を打ったのだった。
初の新人脚本で、オレは裏方に徹した。
広告の仕事をはじめると共に、プロデュースの面白さを感じた。
そして、大塚。
なんかわさわざ名画座に映画観にきたの覚えてる。
二本立てだった。
一本はお目当て作品。
タイトルは、 「ア ホーマンス」
アンドロイドの松田優作。
ヤクザの石橋凌。
この取り合わせ、
男臭過ぎて、泣けてくるよ。
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昨日の夜、久々にランニングした。
前々から、ランニングしようと思っていたから。
鍛えるため、とかじゃなく、ともかく走る、と決めた。
先日、Youtubeで
キックボクサーの立嶋篤史選手と、
K1の王者 魔裟斗との対談を見て、
ずっと前から立嶋選手が、試合後に、
かならずランニングして千葉のジムまで帰っていたことを
語った。
立嶋氏、なんと51歳の現役キックボクサーだ。
試合後に走っていたのはどこかで知ったけど、
そのわけが
試合後にランニングすると、打撲などの試合のケガが治りやすい。
そして、翌日に打撲などの痛みがなくなる、とのことだった。
で、ぼくの方は、何やらちょっと体が、とくに腹周りが
ちょいと重い感じがしてきてのと、
60歳を超えて、ちょっと疲れがたまりがちだったので、
走ってみることにした。
土曜日は、仕事はないが昼からセミナー&勉強会があり、
帰ってくるのがおそくなる予定だった。
けど、それでも走ろうと決意していた。
思えば自分が30代前半の頃、
広告代理店に勤めて、とんでもなく忙しく、
残業でおそくなる日々。
ちょっと時間があくと、勤めが新宿だったので、
必ず酒を飲みに行っていた。
あの頃。
このままではダメだと思い、
ともかく、走ろう、と決めた。
勤めが早く終わったら、
酒を飲まずに、片道40分ぐらいの家に帰って、
走ること。
もし、どうしても我慢ができなくて、
酒を飲んでしまったら、
翌朝、6時前に起きて、
走ること。
最初は、時間で走った。
一回30分。
そして、週に2回は走ること。
だんだんノルマを課して、
週に1回30分、3回以上、
それから、慣れてきたら距離を決めて、
(自転車のメーターで計った)
週に10キロ、から段々増やして
週に15キロ、20キロ、
スピードが少しついてくると、
月に80キロ、100キロ、
と増やしてゆく。
何か快調になると、
10キロレース、ハーフレース、
最後にフルマラソンに参加するようになる。
フルマラソンは3回走った。
そのうち1回は、ニューヨークシティマラソンを走った。
ニューヨークを走ったのが37歳ぐらいだったかな。
あれから月日がたった。
今度はキックボクサーにならって、
デトックス効果を狙う。
そのデトックスは、身体の痛みやこわばりだったりするが、
きっと心のデトックスを自分が求めて居るのだと思う。
ともかく、ぼくは走った。
カラダは疲れてたけど、
月が美しく、風が優しかった。
時間は夜の10時半。
一人と思いきや、同じような仲間が、
男性、女性、走ってた。
いいね。
今のところ週に1回30分でいい。
次に何を発見するのか?
ニューヨークをまた走るのか?
あるいは、予期せぬ道にで食わすか。
何かが、待っている。
▼立嶋選手と魔裟斗 対談▼
私の生まれた家は、太素塚という森の裏の平屋の家でした。
そこで昭和36年10月27日に私は生まれました。
父親は生れてきた子供が娘が二人続いた後、
初めて男の子である私が生まれたため、喜びを隠しきれませんでした。
夕方、産婆さんが私を取り上げた時、
父はその姿を見て男の子と知るや否や、
玄関の外に走り出て、両手を腰に当て仁王立ちし、
「ワッハッハッハッハーーーー」
と大声で笑ったそうです。
この話は、近所に住んでいた叔母から聞いたものです。