ふと、友人の女性とのLINEのやりとりで、「ラジオの国から来た男」という言葉を持ち出した。サム・シェパードの『モーテル・クロニクル』のどこかに出てくる、あの一節。エッセイ集と言い切っていいのか、断片の標本箱と言うべきか、とにかく文章そのものが「旅」みたいな本だ。


思い出すたびに困るのは、彼の文に現れる人物を、いったい何と呼べばいいのかということだ。主人公? 語り手? 登場人物? どれも少し違う。シェパードの人物は、物語を運ぶために生まれた道具というより、道端に落ちている変な石のように、そこに“在って”、こちらが拾って勝手に意味をつけてしまう存在だ。


「ラジオの国から来た男」は、現実の人間というより、電波のようなものだと思う。姿より先に声が届き、距離も時間も抜けてくる。しかも、その声はニュースのように整っていない。雑音が混ざり、途切れ、聞き手の記憶や後悔に勝手に接続してしまう。だから厄介で、だから魅力的だ。


キャラクターという言葉は軽すぎる。象徴と言うと賢そうだが、説明してしまう分だけ痩せる。いちばん近いのは、「通過者」だろうか。町に根を張らず、誰かの人生の受信機を一瞬だけ鳴らして、また別の場所へ消えていく存在。今日のLINEの数行も、たぶんそんな“通過”の一つだった。アメブロには、こういう通過を拾って並べておきたい。明日読み返したとき、また別の周波数で聞こえるように。


ふと、友人の女性とのLINEのやりとりで、
「ラジオの国から来た男」という言葉を持ち出した。

サム・シェパードの本『モーテル・クロニクル』のどこかに出てくる、あの一節。

エッセイ集と言い切っていいのか、断片の標本箱と言うべきか、とにかく文章そのものが「旅」みたいな本だ。

思い出すたびに困るのは、彼の文に現れる人物を、いったい何と呼べばいいのかということだ。

 

主人公? 語り手? 登場人物? どれも少し違う。

シェパードの人物は、物語を運ぶために生まれた道具というより、道端に落ちている変な石のように、

そこに“在って”、こちらが拾って勝手に意味をつけてしまう存在だ。

 

 

 

 

「ラジオの国から来た男」は、現実の人間というより、電波のようなものだと思う。

 

姿より先に声が届き、距離も時間も抜けてくる。

 

しかも、その声はニュースのように整っていない。

 

雑音が混ざり、途切れ、聞き手の記憶や後悔に勝手に接続してしまう。

 

だから厄介で、だから魅力的だ。

 

キャラクターという言葉は軽すぎる。

象徴と言うと賢そうだが、説明してしまう分だけ痩せる。

 

いちばん近いのは、「通過者」だろうか。

 

町に根を張らず、誰かの人生の受信機を一瞬だけ鳴らして、また別の場所へ消えていく存在。

 

今日のLINEの数行も、たぶんそんな“通過”の一つだった。

 

 

再会──それは「夜」との再会だったのかもしれない。
 


 

偶然というには、あまりに出来すぎた。

浅川マキの「音」を聴きたくなって、探していた。


「音」というよりは、「匂い」を探していた。

あの時、あの夜、あの暗闇。

すると、

 

浅川マキの1983年5月3日、吉祥寺・曼荼羅でのライブ音源に、YouTubeの片隅で再会した。

 

あの夜、私は確かに曼荼羅にいた。

住みはじめて間もない吉祥寺という街の。

池袋・文芸坐、文芸坐ル・ピリエ、新宿ピットイン……

マキさんのライブには何度も足を運んだが、

吉祥寺でのそれは、最も彼女に近づいた夜だった。

密室を感じさせる地下空間の距離、ではなく、呼吸の深さで。


あの夜のマキさんの語りは、やけに沈んでいた。

低く、まるで井戸の底から響くような声で、

「あの男(ひと)のことが、……」とつぶやいた。


「……あの男(ひと)の開いた目を、もう一度見てみたい」


その言葉の意味は、その時わからなかった。

だが、何か心に刺さったまま抜けなかった。


ライブが終わっても、マキさんはどこか、

放心したように見えた。

終演後の拍手も空気に吸い込まれ、

彼女だけが、舞台の上に取り残されたようだった。

店を出る時、出入り口の近くに坐り、

呆然と客を見送るマキさんを見た。


そして翌日、ニュースで知った。

マキさんと親交の深かった寺山修司氏が亡くなったという。

 

ああ、そうか──あの夜は、その前夜だったのだ。


板橋に住んでいた頃、

初めて浅川マキに出会ったのは、

池袋文芸坐のオールナイト公演だった。

映画館の椅子に沈みながら、

耳ではなく身体で浴びるように、

彼女の声に触れた。

泥のような夏の真夜中だった。


その頃住んでいた池袋の隣り板橋は挫折の街だった。

街並みは古く、

青森県の郷里よりも冴えない、地方の街に見えた。


ここではない、何処かへ。

いつもそう考えていた。


上京して入った大学が気に入らず、

アルバイトで金を貯め、

親には内緒で別の大学を再受験し、入り直した。


ここではない、何処かへ。

当時、こんなレトリックをよく聞いた。

時が動きたくて、うずうずしていた。


東京の暮らしの挫折を越えて、

そして私は浅川マキに、

池袋の文芸坐の真夜中の闇で出会った。

それから、

新宿に辿り着いて働いていた私が、

仕事の合間に

吉祥寺の地下の店に向かったあの夜──

マキの唄は、青森の詩人・寺山修司を見送っていた。

マキの声は、唄ではなく祈りだったのか。

吉祥寺曼荼羅で聴いた、その「土に還る声」は、
表現者を送り出すための、

最後の灯火だったのかもしれない。


青森の土のに匂いがする夜。

東京のはずれ、曼荼羅の地下で、
私はひとつの時代の終わりと、

自分の旅の続きを、
同時に見送っていた気がする。


そして今、60代半ばを迎え、
またふと、あの夜のマキの声に出会った。


音の奥で、寺山の気配が、彷徨っていた。


あの夜を越えてもなお、
マキの声は、
私の心のどこかで、風のように鳴っている。

マキの生まれは、確か北陸だった。