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< 昨年のブログから引用 そして追記 >







幼少の頃、とくに小学時代の夏休みを思い出すと 少し切なくなるのはなんでだろう
楽しい思い出ばかりなのに
大人になると、あのときに感じられた はもう手に入らないからかな .......

こども ならではの目線、時間のすすみかた
肌で感じる 夏 そして匂い 温度

この時季になると ふと おもう

























昭和50年代 私は小学生だった
(昭和49年8月3日生まれ)

もっと細かくいえば 55年~61年の間
この頃の 夏の思い出が一番 心にのこっているとおもう



7月になると夏休みまでの日にちを指折り数えていた
梅雨が明ければ夏休み!
梅雨明け間近には雷が鳴る、すると梅雨がもうすぐ明けるよ” と母がよく言っていて興奮してた
そう、遊ぶことばかり考えていた気がする

夏休みが近づき、給食もなくなると馬鹿みたいに うかれていた
小学校から沢山の教材を持ち帰らなければいけないのに
終業式前日まで学校のロッカー、教室の一番後ろの棚と言うのかな?そこに置っぱなし

終業式にピアニカ(鍵盤ハーモニカ)やら たて笛 やら絵画道具一式、防災ずきんなど
両手に担ぎ、暑いのに防災頭巾をかぶって山盛り担いで通学路を帰ってきたものだ
そして
親に見せるのが怖かった通信簿(通知表)
通学路の横に流れる川に、毎年と投げ捨てたい気持ちでいっぱいだった



夏休みの宿題、今(私の娘、小学校6年生)と比べると多かった気がする
国語、算数、などのドリル、プリント
読書感想文やら、ポスター 絵日記に図工的なもの、もっとあった気がする

みるだけで うんざり
夏休み中、母に『朝涼しいうちに宿題やっちゃいなさい!』と毎日言われていた
私の家にはクーラー(エアコン)なんてものはなく、涼をとる手段は 扇風機と水浴びくらい
朝、涼しいうちに宿題をやればいいのに、朝ご飯を食べ終わると外に飛び出していた

母親の目を盗み、隙あらば!とダッシュ 
家に帰れば怒られるのはわかっているのに............. それを毎日繰り返す


夏休みの宿題、後半で苦しい思いをするのは必然
わかっているのに毎年同じことを繰り返す
悪友達と野へ山へ川へ 家に帰れば首根っこ掴まれ宿題をさせられてたなぁ



そうそう 毎朝、ラジヲ体操もあった
くび からスタンプカードをぶら下げ、朝早く集合
今は毎日ではなく、1週間くらいらしい(私が住む地域では)

夏休みで朝から遊び、そして たまに夜更かし(それでも22時前くらいだったかな?)
朝6時くらい? ラジヲ体操が嫌で嫌で
でもね、夏休みが終わるまで(夏旅行以外)スタンプを押してもらったよ
皆勤賞は無理だったけどね





夏休みでやることといったら(宿題以外)小学校のプール、川遊び、カブトムシつかまえ
釣り ........ 遊ぶことがいっぱい

今は涼しい部屋でTVゲームやDVDをみたり、外で遊ぶことが少ないのかな

熱中症に気をつけて 
と 今は色々な対策をするが、あの時代 外で遊んでてぶっ倒れることなかったなぁ
汗だくで遊び、暑かったら水道水の蛇口に頭を突っ込んで水をかぶってた
服なんてすぐ乾くし

自分が思うに、今現在の夏の様に、亜熱帯的な暑さでは無かったと思う
夏はメリハリがあったよ

朝、早朝は涼しく日中は暑い 夕方には夕立がきて涼しくなり ......... と




話を戻すね

朝ご飯を食べたら外へ遊びにいき、お腹へったらお昼ご飯を食べに帰る
暑い中 遊び回っているもんだから疲れて昼寝
汗だくで起きて また遊びに出かける

夕方になると 何処からか独特な匂いがすることがある
すると夕立がきて、熱くなった大地を冷やす
するとまた違う匂いが立ちこめる
雨の匂い  草木の青臭い匂いとも言うのかな


山にはきれいな夕焼け
青、群青色、橙色や赤紫のようなチョイ怖い色、毎日ちがう顔を夕空はみせてくれる
家から見える雄大な大山(おおやま)がその日の天候を教えてくれたんだな

遊び疲れて家に帰ると、母から『 宿題やったの? 』とやっぱり怒られる
でもやらない

店、魚屋が終わるのはだいたい20時すぎだった
夜って何してたんだっけな

日中の遊びが楽しすぎて、家に帰って何してたんだろう?
ちょいと夜更かしをした時、テレビを観てたのかな? 
母が夕食の片付け、晩酌をして寝転んだ父が母に怒られ『 布団で寝て! 』と言われるまで14インチのブラウン管テレビを観てた記憶があります

あ、あとあれも楽しみだった

『 あなたの知らない世界 』

たしか、お昼過ぎに日テレ?で放送していた気がする
午前中に遊び回って帰宅し、簡単なお昼ご飯食べながら、鳥肌たてて茶の間で ........
うん、けっこうビビってみてた
夢にでてきちゃったりもして、夜中飛び起きたり!
そしたら もっと怖かったみたいな





私の家で、夏休みといえば家族旅行があった
お盆は店が忙しいので、だいたいお盆が明け ちょっとしてから
8月の20日すぎ が多かったかな

一年間での連休は、その夏休みの一回くらいだったような
年末年始は12月31日まで働き、1月2日から仕事(今もだが)
家族旅行は夏の1回

それが楽しみで楽しみで
母に『 宿題終わらせないと 旅行連れて行かないからね!』と毎年いわれてた
旅行前に朝から晩まで宿題をやっていた思い出が ......... でも終わらず、有耶無耶に
(ドリル系は必死に終わらせ、ポスター系や読書感想文が残ってたさ;学習せずに毎年;アハハッ)

それを小学校6年間、成長すること無く同じことを繰り返してた
自分の子供達(特に息子)に『 宿題を終わらせないと旅行は無し! 』 と毎年言っているが
棚に上げてる 

母も『 アンタが言ってもねぇ 』と笑っているが、たしかに言えん! でも言うさ
息子よ、その内お父さんの気持ちがわかる時が来るよ ......... お父さんの方がひどかったけどね



また話が脱線しそうだったので戻す

毎年『 今年こそ夏休み始まったら宿題やっつけよ!』と思うのだが、馬鹿だから繰り返す
そして旅行前に後悔する

夏旅行は 毎年 伊豆(静岡県)だった
お盆もすぎると道路も空いている

宿は予約せずに飛び込みがほとんど
これは、この時の魚屋仕事が飛び込みで大きなものがあった事が多く 旅行取り消し! と、もしものために宿の予約が出来なかった(私達兄弟が期待をしすぎた場合に申し訳ない)と、物心ついた時に聞かされた

この日は旅行で何処何処に泊るよ!と子供達(自分と妹、弟)に期待させて、もしも仕事が入ってしまって子供達の期待を裏切るのが切なすぎると言っていたのを思い出す
この頃の家の仕事はそうだったんだよな


泊る場所
ホテル、旅館 いえいえ 民宿が恒例

遊びに行く場所を決め、現地に着けば『 空 』という看板や張り紙がある民宿を探す
でも、毎年遊びにいく場所が ほぼ決まっているので、宿は決まっているのですがね
空き部屋がない時には紹介してくれたりと民宿のアットホームで気さくなところが好きでした
(今もですが)

海の近くの民宿は漁師さんがやっていることが多く
お魚が美味しい!
釣り船をもっているので、早朝から船で釣りにも行った
釣りから帰ってくると、釣った魚を朝ご飯に出してくれたりと

なんかその朝ご飯の光景、30年近く前なのに 鮮明に思い出されるよ


日中は海水浴や磯遊び
親父も背中を真っ赤にして一緒に遊んだ

その焼けた背中の皮を剥くのも好きだった
色白な親父、水ぶくれになり ペロン” と背中の皮が剥けると ........ 酔った親父の背にまたがり爪を立てて

親父は『 いてぇ~よ!無理矢理剥くな!! 』と よく言っていたなぁ




夏旅行、20日もすぎれば海水浴場も静か
きもち空が高かった記憶 子供ながら、『 みんなはもっと早く旅行に行ってるのに 』と思っていた

でも、今となればよくわかる
実際のところ、私もお盆過ぎではないと仕事を休めず、
お客様がご来店、おこし下さることで私達家族が生活出来ると言うこと、これは大人にならなくてはわからないかな ......... わからないだろう!絶対!! 私もそうでしたし!!!




8月も後半になれば、空の様子も変わってくる
そう 空が高い、空気も変わってきた、せっかちな赤とんぼが少ないながら飛び回る
秋も近いということか

それはその時に感じた思い








夏のキャンプもあった
あれは公民館?子供会?主催だったのかな?
水っぽいカレーを作ったり、キャンプファイヤーをしたり
楽しい思い出



小学校のプールでは肺の空気を抜いて、底に沈み水中から水面を見るのが好きだった
キラキラ” と水の中を光る太陽光を、息が続くまで眺めてた
これは夏旅行の海でも同じことをしてたな


そして小学校のプールの帰り、干し梅(なんか赤っぽい小さな箱に入ったヤツ)をよく食べてた
都こんぶ も


その干し梅を食べて、種を奥歯で割り その中の実?も食べてたな
今考えると、熱中症対策になってた?干し梅や都こんぶ?




夏の夜の思い出 今思い出した
爺ちゃんがよく花火を買ってきてくれた

その花火といえば足の火傷を思い出す
それは小学校上がる前のこと

幼い私は長靴をはいて線香花火をしていたらしい
線香花火は小さな火珠が落ちて終わる

その火珠が ピンポイントで長靴の中に落ち足の甲を火傷した
今もその傷跡がある
母は自分を大いに責めたらしい

たしかに長靴は危ないかもね
その経験? その想い?そのことからか、線香花火には異常に反応する
普通の手持ち花火より、線香花火を始めるときの講釈が長い私です(アハハッ






夏休みも終わりに近づく八月の最終週、
せっかちな赤トンボから、数多く本格的に飛び回る赤とんぼをよく目にするようになる

今までよりも、空がもっと高い



あぁ夏が終わるんだなと 子供心に思ったものだ
登校日なんてものもあったな
夏休み中で2?3回?あった?

登校日に小学校へいくと、みな真っ黒だった
同じように遊んでいるのに、宿題終えた友達すげぇ~!と思ってたよ

私は馬鹿だから容赦なく遊んでたので宿題終わるはずがない
読書感想文 本の最初と最後だけ読んで 丸写し 否? 箇条書きか!? そして少しの感想
案の定、宿題チェックしていた母に怒られる

工作は毎年 気合い入れて作ってた
気合い入れすぎてデカイもの作って、学校に持って行くの大変だったな
もう そのころから計画性というものが欠如してたのか



今 思い返すとなんでもない日常、夏休みだったんだ
でも、なんでこんなにいっぱい思い出として残っているんだろう

自転車に乗って走り回り、虫網持って駆けずり回り、川でビショビショになりながらも綺麗な雄のオイカワを捕まえ親に自慢したり .......
山に入りカブト虫、ノコギリ、ヒラタ、んでもってアシナガバチに刺されてムッハァ~したり

台風だって子供のときは何故かソワソワ、ドキドキしたもんだ
不思議だな



春の思い出、秋の思い出、冬の思い出
やっぱ夏の思い出なんだよな
夏生まれの自分だから よけい そう思うのか





息子も娘も そんな時がくるんだろうか?
私、息子と娘に全力で海の遊びや山、川での遊びを小ちゃい頃から教えてる
違うな ........ お父さん(私)が連れ回してるって方が ニュアンス的に合っているか;;
 




こんなお父さんだけど、隊長!(昔って近所の年上の子をそんな風に呼ばなかった!?)みたいな感じで息子が興奮して遊んでくれるのが嬉しい
娘も自然な環境で遊ぶのが大好き ♪





子供達、親になった時
やっぱり少し切なくなるのかな?

時代はもっと変わると思うし .......... でもね、変わらない場所は必ずあると思う
その場所を守りたい








蒸してる、暑いよ、ふぁ
そんなことを毎日いってるけど やっぱ夏が大好きなんだよ!!!






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