天草四郎らが籠城した原城へ、そして天草へ。 | ぎりっちょの散歩釣り日誌

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島原から口之津間はぎりっちょにとって初めて通る場所です。(島原湾) 有明海ほどはないにしろ干満の差が大きいようで沖まで潮が引いています。

世界遺産候補になっている島原天草の乱(1637年)最後の砦となった原城跡へ向かいます。

思ったより大きな城跡でした。

後ろは崖となりその下には美しい海が広がります。

当時一国一城令が出されて廃城となっていた(なっていなかったという説もあります)この地に約3万の人が籠城し、最後は全員死んでしまうことになります。死ななくいても、殺さなくてもと思いますが、88日間の戦いでした。

何が獲れるのかな? 

今が旬のニシ(アカニシ)か、それともテナガダコあたりでしょうかね。(原城下の海岸)

さて口之津港に着きました。

バスも頻繁に発着しますが乗客の姿はほとんど見かけませんでした。時代ですかね。

フェリーはけっこう便数があります。

再びフェリーにのって天草の下島に渡ります。

東シナ海への出口付近を横切って鬼池港を目指します。この辺りはマダイ、サバ、イカ類が多いせいかイルカもたくさんいますよ。

潮が引くと渡れる亀島です。

たしか清水国明のログハウスかキャンプ場があったはずですが今はどうなっているのでしょうか。

 

突端の岩場は過去に4.5k(当時の日本記クラス)のチヌが釣れて話題になった所です。でぎりっちょも一度行ったことがありますが、手のひらのクロの入れ食いでした。

鬼池から瀬戸大橋を渡って龍ヶ岳の樋島まで車で約1時間走ります。

 

この日の宿泊補助券は(1万円)は樋島の「きらら停」と決まっていたのでホテルに着く前に明日の早朝に竿を出す釣場探しをしします。

当初予定していた岩場は満潮で沈みそうなのでパス、500mほど移動して満潮でも沈まない岩場を発見、明日はここで決定です。

翌朝は4時に起床、空が白みかけた5時前に旅館を出ました。

でも歳かな、まだ完全に明けきっていない岩場を歩いていた時、足を滑らせて左足のスネを激しく鋭角に割れた岩にぶつけてしまいました。

 

その激痛と言ったらそれはそれはそれは・・・足の骨が折れたかと思いったほど。打撲と少々の内出血済んだのは不幸中の幸いだったかもしれませんね。視力、体力共に老化が進んでいるようです。

 

5時過ぎに竿出し。

まずは良型のキュウセンがヒットし大歓迎。刺身、鍋、煮付けどんな料理にも合います。関西では高級魚扱いも九州ではなぜか不人気な魚です。いまの時期は塩焼きにするとヤマメの味がしますよ。

 

しばらくして強い引きで上がってきたのは43程のチヌでした。大きいのですが今のチヌはいただけないので残念ながら即リリースです。

小型のカサゴは明日朝の味噌汁にキープ。

今日の狙いはクロとヤ(アイゴ)だったのですがとうとう姿を見ることはできませんでした。持ち帰りはキュウセン2、ガラカブ1でした。

 

この日は満潮前の8時に終了したので正確なところは分かりません。なぜかヤノウオは下げ潮に釣れだすことが多いのですけど、旅館の朝飯があまり遅くなったらいけないので終了することにしました。

朝食後めったに行かない樋島の裏側まで足を伸ばしてみました。投げ釣りの人がちらほら。でも釣果は芳しくなかったようです。(満潮時)

実はこの島↓で一度竿を出してみたいと以前から思っているのですが、その下見を兼ねてやってきました。ここも干潮時しか渡れない島です。

この日は投げ釣りが一人渡っていたようです。多分夜明けごろに渡ったのだと思われます。あまり釣れている様子ではなかったけど気持よさそうです。

なんとも静かでよい感じの海岸でした。秋にでも来ようかな。

 

でもこんな場所は注意が必要です。水が少しでも道を越え出すと帰り道が見えなくなって分からなくなってしまいます(砂地は特に)。あせって深みにはまってなくなった事故は数え切れないほどあります。徹底した下調べが必要なことは言うまでもありません。

この日泊った”きらら停”はとてもよい旅館(ホテルですけど)でした。

料理は美味しかったし女将さんをはじめ、気さくな従業員の方々ばかりで楽しく過ごすことができました。

 

また来年も補助券が当たったらいいな~なんて思ってしまいました。