多くの人が勘違いをしている。
他人の心など分かる訳がない。
想像しているだけだ。
自分の経験に基づいて、それを自分に置き換えてみる。
そしてその時、
『私だったら、この件に関してどのように感じるのか。』
という評価を下した上で、相手の心を測るのだ。
自分に居心地の良いコミュニティ内で生きていると、分かってもらえると感じる事が多い。
そして逆に、人の気持ちが分かるように感じる事も多い。
なぜなら、似たような経験をし、似たような価値観を持つ者は惹かれ合うからだ。
なんかスタンド使いみたいな言い回しだな。
まぁスタンドの話は置いといて、人はこれを、人の気持ちが分かるという事にしている。
『あなたに私の何が分かるの!?』
みたいな事を言う奴が、たまーにいる。
言い回しとか言葉のチョイスなんかは、人によって様々であるが、要するに、そういう事を言ってくる人間は、少ないながらも世の中に一定数はいるらしい。
私は、彼らに言いたい。
『お前だって俺の事なんも知らねーだろ、バーカ!』
なんでああいう人種っていうのは、まず、自分ありきなんだろう?
なんで分かって貰おうと思うのだろう?
分かってもらえないって事は、ズレてるからだ。
他人とズレているから、分かってもらえないのだ。
あるいは、隠すからだ。
自分を偽るからだ。
つまりは、自分が悪いのだ。
人間が他人に分かってもらえないのは、自己責任だ。
人を知りたくて、人に知って欲しいなら、他人の価値観を知ろうとしなければならない。
人の気持ちを想像出来るようになるには、相手と似たような経験を積まなければならない。
環境や、生まれ持った性質、様々、言い訳はあるだろう。
しかしだ。
20代前半くらいまでならばいざ知らず、もはや社会に出て、自分で生きていくステージに突入した人間ですら、
『あなたに私の何が分かるの!?』
ときたものだ。
何を甘えた事を言っているのか。
分かって欲しいなら、似たような経験をしている人間を探しにいけ。
そういう人が見つけられないなら、まず自分から相手を知れ。
コミュニケーションが苦手?
人と関わるのが恐ろしい?
なら、本でも読んで勉強しろ。
カウンセリングでも受けてみたらどうだ。
それが嫌なら諦めろ。
最初から持っている人間が羨ましい?
まぁ、それには同意してやらん事もない。
でも、それは思うだけにしておくべきだ。
羨んだ所で、それは自分に利益をもたらさない。
職場にも恵まれ、妻子にも恵まれた、そんな豊かな人間に言われたくない?
そうか。
それはそうかもね。
じゃ、そう思っておけば?
君がどうなろうと、私の知った事ではない。
とまぁ、そんな具合なのだ。
いかなる理由があれど、どんなに同情の余地がある人生を送ってきたとしても、社会はそのようなものを一切考慮しない。
今現在、今そこにいる、私という人間ありのままを評価する。
人は、人の事を理解しようとはしていない。
人は、自分が理解出来ると思った人の事を、なんとなく分かったような気持ちになっているだけだ。
そして人々は、お互いに、そう思い込んでいる。
そういう人々が、特定の規模のコロニーを形成している。
それが、社会だ。
社会に溶け込むのであれば、自らが社会を知らねばならない。
他人を知ろうとしなければならない。
周囲の人間と同じような経験を、自分も体験するしかない。
言い訳など出来ない。
理由などつけられない。
自らが豊かな人間になるしかないのだ。
私は常にそうしてきた。
従って、まず先に自分を理解してもらいたい、などと考える甘ったれた人間が、私は嫌いだ。
私は人の事を分かった気になりたい。
他人に理解してもらえるとは思ってないが、誰かに、私の事を知ったような勘違いをしてもらいたい。
それで十分じゃないか?
分かってもらう必要も、分かってやる必要も、ない。
お互いに勘違いしてればいい。
何、理解なんて求めてんの?
幻想だから。
物理的に実現不可能な夢を抱くのは無能としか言いようがない。
『いつか、誰かが分かってくれるかもしれない。』
そんな期待があるから、
『誰も分かってくれない。』
という現実に苦しむ事になる。
最初から存在しないものを求めるべきではない。
自分の感情なんて、世の中は意に介さない。
社会は弱者に冷たいのだ。
そしてその社会の中に私がいる。
当然お前もだ。
社会が私に冷たいのであれば、私が社会に冷たいのだ。
社会がお前を分かってくれないなら、お前が社会を分かっていないんだ。
そういう、世の中の普遍的な原理のようなものを、最初から感情論で排し、自分の頭で考えず、自分で行動する事もせず、ヒーローに助けてもらう事だけを考えているような奴はな、社会から取り残されて然るべきなんだよ。
私は、そうはなりたくない。
この社会に食らいついてやる。