私は、決して誠実な人間という訳ではない。


誠実な一面も持っていない訳ではないけど、それなりの下心も持っている。



会社の同僚に、背の高い、綺麗な人がいて、私はその人に対して一定の好意を抱いている。


妻と子がある身でありながら、そのような感情を抱く事は、決して好ましい事ではないだろう。



私の家に来たいと言ってくれた人。

バーベキューに誘ってくれた人。


私が釣りをするとか、山に行くとか、そういう話をすると、私も行きたい、と言いながら、では、今度の登山部で、みんなと一緒に行きませんか?

とお誘いするも、それを受ける事はない。

〇〇さんと一緒に行きたい、などという、あの人。



以前はさほど意識していなかった。


これは、この人の、そういう性質なんだろう。

私は、この人にとって、親しみやすくて、話しやすい相手なのだろう。


そのくらいに考えてた。




その人は、別に、特別私にだけ、そうしている訳じゃないんだと思うようにしている。


他の男性スタッフに対しても、ある程度の距離の近さは見て取れる。

ボディタッチをして、親そうにしている場面も見受けられる。


それを見て、嫉妬心を感じてしまうのも、事実だ。



最近はある程度、私はこの人の事、女性として意識し始めているんだなって事を、自覚するようになった。


だから、考える。


この人の、私に対する距離感は、人間としての親しみ安さから来るものなのか?

あるいは、私が期待するような、異性的なものなのか?




考えたってしょうがない事なのに、最近はどうしても考えてしまう。

良くない傾向だと思ってる。



こういう時、みんなどうしているんだろう?




良くある話だ。


自分の妻が、自分ではなく、子供にばかり意識を向けるようになって、自分に対する愛を感じにくくなった時。



他の、自分に好意を寄せてくれる相手を、意識してしまうという話。


そして男性というものは、下心から、相手の好意的な対応を、自分にとって都合の良いものとして解釈し、自分自身の思いさえ履き違える。



そういう、どこにでもある話なのだ。


私は、2人の子供達の事は、胸を張って、愛してると思う事が出来る。



妻の事はどうだろう。

愛とは何か。


妻には感謝している。

妻がいるからこそ、今の私がある。

家族があるから、私は私なのだ。


なのに、いつも私に難しい要求ばかりして、どこか私を見下し、私が望むことを拒否して、家族の為に様々な事を諦める事を望んだ私の妻。



私が友人と遊ぶ事も。

会社の仕事の為に女性と接する事も。

共に暮らした私の母や姉妹を金銭的に支援する事も。

私が自分の趣味を楽しむ事も。

私が出世を望んで仕事に全力を出す事も。


私は、妻と子の為に、様々な事を諦めてきた。



家庭を守る為に、自分には背負いきれない事を、妻が背負いきれない事を、私は全て諦めて、良い父であろうと必死に努力してきたのだ。


なのに妻は、昔のように、私の心を顧みてはくれない。

家庭の為に。

子供の為に。


私を蔑ろにして。



母として、人がそのように変化していくという事を、私は仕方のない事だと認識している。


あなたが1人目を失った時の悲しみも。

あなたが身の回りの親しい人を失っていく時、1人の孤独に耐えられないと泣いていた時の寂しさも。

あなたが、自分の精神的未熟さから劣等感を感じ、そのもどかしさを持て余していた苦しみも。



私は、私を犠牲にしてでも、この人を守りたいと思った。


しかし、時が流れて、いつしかあなたは、私を愛さなくなった。


それに比例するように、私はどこか、妻の、私に対する愛を、信じる事が出来なくなっていく。


そして私も、自分に問いかけた時、胸を張って、妻を愛していると言えなくなってしまっている。




家族として、妻として、子供達として、私は妻を愛しているとは思う。


しかし、女性として、生涯の伴侶として、私は妻を愛する事が出来ているのだろうか。




私を、疑わせないで、愛してほしい。

側にいて、苦しい時に、抱きしめて欲しい。

あなたの為に、たくさんの事を失ってきた私の献身を、受け止めて、それに相応しい対価を与えて欲しい。


あなたのおかげで、私は家庭を持った。

子供を得た。

そして幸せを知った。



それだけで十分に与えてもらっているはずなのに、それでもなお、私は、私を男性として、あなたは女性として、あなたの愛を感じたいのだ。



それが叶わないが故に、と言ったら、言い訳にもならないだろうが、

私は別の誰かの、異性に対する好意とも受け取れてしまうような、他の女性の優しい心遣いと、くすぐったいような言葉と、身体に触れてくる温かさに、どうも目を背け切る事が出来ずにいる。




他人を言い訳にして良いはずがない。


第一、私には覚悟がない。


子供を、家族を失うことは考えられない。

これまでの妻の献身に対して、私はそれを裏切る事なんか出来ない。


妻子ある身である私が、他の誰かに手を伸ばして掴もうとしたとて、最終的にどちらを選択するのかと問われたならば、もはやこれは考えるまでもなく、これは圧倒的に、子供達が優先される。



つまりはその程度。


ちょっと、可愛い人が、なんか好意的に私にふれてくれるから、そしてなんか最近、妻からの愛を感じないから、そういう時に優しくされて、そこに何かしらの下心を抱いてしまう、私の未熟な心故の思い上がりなのだ。




この前は、LINEが来た。


お土産をあげたのだ。


前にその人が、旅行に行った際に、小さな個包装のお土産をもらったのだ。


そして私は、

『すごいね、こうやってみんなに、ちゃんとお土産を買ってくるなんて、えらいね。』

と言ったら、


その人は、

『みんなにじゃないです。』

と言うのだ。



私は、お返しをあげた。

割とぶっきらぼうに、はい、これ、この前のお礼です、みたいな感じで、パッと渡して、さっさと離れた。


夜に、お礼のLINEが来て、私はそれがとても嬉しかった。

夜は寂しいのだ。




私は、その人に好意を抱いている。

そして、その人の私に対する態度が、単に同僚としてではなくて、異性的なものであったら嬉しいな、と思ってる。


この事実に対して、私がなぜ、なんだかんだで彼女に対して何のアクションも起こさないのかというと、それは妻の愛に対する誠実さ故ではない。



『私の勘違いだったら恥ずかしいから』

『子供達を失いたくないから』

『妻を傷つけたり、裏切ったりしたくないから』

『仮にその人が私を異性として好んでくれていたとて、その気持ちに乗じて、下心を持ってそれを利用するような人間ではありたくない』


そのような、自分の為の打算的な感情による、要するに『逃げ』の姿勢で、壁を作っているに過ぎない。



もし彼女が、私に対して、遠回しに思わせぶりな事をするだけに止まらず、真っ向から向かってきたとあれば、もはや私はそれを拒否する事は出来ないであろう。




で、あるからして、願わくば私は、

『彼女の私に対する振る舞いは、異性に対する好意であってくれたら嬉しいし、光栄だ。

しかし仮にそうであっても、特に親しい同僚として維持出来る程度の、心地よい範疇に留めておいておく事が望ましい。

相手に好まれながらも、家族の為、という大義名分を盾に、彼女の好意を受け取る事をしない、そういうカッコいい男でありたいのだ。』

…みたいな事を思ってる。




真に誠実で、本当の意味で男らしい人間というのは、難しいものだと思う。


私はそういう人間でありたいと望んではいるが、彼女に対して下心を抱いている以上、胸を貼って、


『私は家族の為に、妻以外を愛さない』


と言えないという、その事実が、何とも情けなく、そして、しかしそれも人間である以上は仕方なかろう、という言い訳を胸にして、何とかかっこよくて誠実な男性を、辛うじて維持している、という訳なのだ。