家に帰ってきた。

タープの下で、一人でぼんやりしてる。


寂しくて涙が出てきた。


今は一人で、この前のバーベキューの時の写メを見てる。


多分みんなは、毎日が忙しくて、もう次の事を考えてるんだと思う。


私にとっては、久しぶりで、特別に楽しい事であっても、世の中はどんどん前に進んでいくから、いつまでも一つの事にこだわっていないで、新しい予定を作っていくんだろう。



私をバーベキューに誘ってくれたあの女の人は、旅行が好きで、たくさんの人との交流を持ってる。


仕事が出来て人当たりも良く、すごく頼りになる彼は、親しい友人が沢山いて、いつも仲間達と楽しそうにしてる。


もう一人の女性は、いつだったか、お金も時間も沢山あったならば、もう離れてしまった友人達に会いにいく生活をしたい、と言ってた。



皆さん、多くの人との交流があって、いつも笑ってて、キラキラしてる。



なんか私だけ、明らかにキャラが違う。

なんで私なんかと遊んでくれたんだろ?


私からすれば、彼ら彼女らは、私よりも心が豊かなステージにいて、日々を精一杯生きて、キラキラした毎日を送っているように見えるのだ。



皆さんから見れば、それほど自分達と違う人種の人間なんだ、みたいな事は考えていないんだろう。

接する時の反応を見れば、それは良く分かる。



私だけ、何だかいつも勝手に孤独な感じがしてて、女々しく過去を振り返ってる。


何でなのかな。



仕事をしてでも、今までと違って、私は彼らの姿を見かけると、

(あ、〇〇さんだ!)

みたいな、少し嬉しい気持ちになる。


この人達と、楽しい時間を過ごしたんだって思って、少し明るい気持ちになる。



しかし、どうだ。


家に帰ってきて、一人になると、やっぱり寂しく思ってしまうではないか。


だけどこんな思いを打ち明けるような関係性でもないから、私は相変わらず一人ぼっちの気分なんだ。



『〇〇さんも、何でも話して下さいね。』

そう言ってくれた。


でも、嬉しいけど、こんな気持ちを話す気にはなれなくて、あれは社交辞令ではないと思うけど、やはりどうあっても、私から相手に手を伸ばすには至らない。



みんなが遠くに感じてしまう。


私はいつも、他の誰か、他の何かに依存している。

近づき過ぎると壊してしまう気がする。


少し遠くにいるからこそ、私は辛うじて彼らの仲間でいられる、そんな気がする。



別れ際、私が眼鏡についた油を拭き取る為に眼鏡を外していたら、

『寂しくて泣いちゃったんですか?』

と言って、二人の女性はつられ泣きしそうになってた。


『いやいや!お肉焼いたからね、油がはねちゃって、それを拭いてただけだよ!

大丈夫大丈夫!』


その時は、本当にただそれだけだったんだけど、あの暖かさは、再び私にもたらされる事はあるのだろうか?



自分を蔑んだり、低く評価をしている訳ではないけど、私なんかは、本来皆さんと一緒にいるような人間じゃないんだ。


こんな思いを、果たしてどのように伝えられるものか。

出来る訳がない。



彼ら、彼女らの思いを、全部一人占めしたいだなんて、そんな傲慢な考えが巡る。


私は特別でも何でもないのに。


私は嫉妬深いのだ。

そこにいたのが、たまたま私であっただけで、あなた達は、そこに私がいなくても、別の誰かの為に涙を浮かべてくれるんだろう?




みんな本当に、私にとって、とても美しく、得難い人なのに、私とは違うステージにいて、私の知らない所で多くの絆を結んできたんだ。


私もそこに行きたい。

でも行けない。



羨ましい。

悔しい。

誰も私を仲間外れになんかしてないのに、何で私はこんなに、嫉妬や孤独を感じなければならないのだ。


そして今の私の、本当の姿を、惨めな姿を目の当たりにした時、それでも果たして、あなたたちは私を仲間として受け入れてくれるのか?


こんな事、誰にも話せない。

だから、私も美しい人間になって、胸を張って、皆さんの側にいたい。



重過ぎる。

こんな私を背負わせられない。

誰も背負えない。


知られたくない。

私も知りたくない。



妻や、子供達、数少ない友人だけが、何の迷いもなく、恐れる事もなく、歩み寄れる存在だ。



怖いのだ。

近付けば近付く程に、壊してしまう。

みんなが私を壊すんじゃない。

私が私を壊すんだ。


そうなる前に、私から壊す。

みんなに壊される前に、先に私が壊す。


人との関係を。

人との距離を。

いつもそうしてきた。


だから、こんなに頼れる相手が少ないんだ。




20代の、若い人に混ざって、はしゃいでいたのがまるで馬鹿みたいだ。

40歳にもなろうとしている家庭持ちで病気の憂鬱なおっさんか、どうやってみんなと同じになればいいんだ?


分からない。


上手にインスタを使いこなして、みんなにいいね!してれば解決するのか?

…そういう問題じゃないだろ、という事だけは分かる。




思い出した。


いつもいつもこんな苦しい思いをしてしまうから、私は一人だったんだ。

望んで一人でいようとするのだ。


孤独が辛くて辛くてたまらないくせに、喜びを感じた次の時に、こんな苦しい思いをする事に耐えらないから、だから私は、他人を見下して、自分から関係を拒絶して、付かず離れず、ぎりぎりの所にいる。


一時、私を乗せてくれた船を、私はいつしか遠ざかるその時、誰にも知られないように一人で泣いて、見送りにもいかず、やがて忘れ去っていく。



今度こそ、今度こそはそうならないようにと、そう思いながらも、何度も失敗を繰り返して、私は今に至るのだ。



いつも私にバイバイしてくれて、近寄って触ってくれるあの人の事、特別に親しくなりたいという感情を抱いてしまうのは、私が彼女に嫌われたくない事の反動なのだ。


恋とか愛とも違う。

自分には得られないものだから、欲しくてたまらないのに、捕まえに行けないから。

だから、気になって仕方がないんだ。


だって、あなたには、他に、もっともっと素晴らしい出会いが、この先の人生に待っているんだから。


私にはその資格がない。



インスタになんか登録しなきゃ良かった。

みんなの日々が、羨ましくて、美しくて、私なんかには到底至らないような素晴らしい場所に、既にあるのだ。


見えてしまうからこそ、その差がより鮮明に浮かび上がる。



ディズニーの歌が好きな彼は、さぞ、人々に慕われているのだろうな。


彼も既婚者だ。

しかし何故だろう、私とは全然違って、多くの人と分け隔てなく、躊躇う事もなく、堂々と接しているように見える。



比べれば比べる程に、その差を思い知らされる。

同じ時を過ごせば、それ程に皆の事を知り、その事に喜びを感じる反面、悲しみを覚える。



声を出して泣きたい。

そのくらい苦しい。


捨て犬みたいだ。

愛想良く尻尾を振って、

『僕と遊んで下さい!』



だったら、お前が、自ら、

『今度はいつ遊びましょうか!』

そうやって自分から行けば良いんだ。


そしたらきっと、次の予定が埋まるのに。




私は何を期待しているんだ。


『〇〇さん、寂しそう。

私が一緒にいてあげますよ。』


そんな言葉を少しでも期待してしまう、惨めで愚かな私自身を背負って生きていく。


馬鹿か?

彼女は別に、私にそんな事をしてくれはしないし、私も望むべきではないし、あれはただ、彼女の心が豊かであるが故に、優しさと友好性から来る思いやりの言葉なのだ。



もうやめたい。

こんな事、こんな事を考えるのをやめてしまいたい。




目標を立てよう。


私から、みんなを誘うんだ。

勇気を出せ。


みんなは私を助けてくれる。

そのつもりはなくても、私はみんなに助けてもらった。


私もみんなの助けになりたい

みんなの為じゃなくて、私が私を助ける為に、向けられた好意を、友人として受け止めるのだ。


みんなの、私に対する気持ちを信じるんだ。

健全な心で、私が一歩一歩踏み出さねばならない。



それが私の、次のステージへと歩みを進める、たった一つの方法なのだ。